"福原有信"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治5年(1872) | 6月 | 開店予告広告を「報告」と題して、創立者福原有信の名で、民間経営形式の政府広報誌「新聞雑誌」明治壬申6月(太陰暦)第47号に掲載。これが資生堂のはじめての広告であった//これは「明治編年史」には、「福原有信西洋薬舗開業の辞」として収録されている | 資生堂宣伝史 |
- | ●矢野義徹・前田清則・福原有信が三精社を興し、その事業として福原を経営者とするわが国初の民間薬局、資生堂創業を企図。これが松本順によって拡大、別に西洋薬舗会社、資生堂を創立し、両者を分・本舗として福原があわせて経営に当ることになる | 資生堂宣伝史 | |
明治7年(1874) | 12月 | ●福原有信、西洋薬舗会社を辞任、取引関係は存続 | 資生堂宣伝史 |
明治8年(1875) | 1月 | 三精社が解散、資生堂薬局が福原有信の個人経営となる | 資生堂宣伝史 |
4月25日 | 「東京日日新聞」に移店広告。店名を<資生堂 福原有信> | 資生堂宣伝史 | |
明治16年(1883) | - | 《福原徳謹製》―福原有信の妻とくが製薬免許を得て、売薬を製造したことを示す。有信が公職や他事業に就いたため、資生堂の日常業務はとくに任せられていた。 | 資生堂宣伝史 |
明治17年(1884) | 9月12日 | 「いろは新聞」に広告<「ペプシネ飴」資生堂福原有信>(10.24) | 資生堂宣伝史 |
明治23年(1890) | 2月16日 | 「東京朝日新聞」に広告<乳糖ペプシ子特約売捌所19店のうちの1店として京橋区出雲町 福原有信> (2.24、3.2) | 資生堂宣伝史 |
3月7日 | 「東京朝日新聞」に広告<京橋区出雲町 資生堂 福原有信> | 資生堂宣伝史 | |
3月16日 | 「東京日日新聞」に広告<資生堂薬局 薬剤師 福原有信> | 資生堂宣伝史 | |
明治30年(1897) | 1月 | 「風俗画報」第133、136号に移転広告 <資生堂薬局福原有信>(3月) | 資生堂宣伝史 |
明治32年(1899) | 1月 | 「風俗画報」第180、181、183、200号に発売広告<「オイデルミン」ほか10品 内外化粧品問屋 資生堂 福原有信>(2月,12月) | 資生堂宣伝史 |
大正2年(1913) | 1月 | 「婦人画報」正月の巻に広告<「改良水油 花椿」資生堂 福原有信> | 資生堂宣伝史 |
大正4年(1915) | - | ●経営者に福原信三(福原有信三男)がつく | 資生堂宣伝史 |
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