※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月12日 | 東京出張所を東京支店と改称 | 当社の歩み | |
5月15日 | 北清事変起こる | 内外事情 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 大阪府中河内郡大戸村字芝(辻子谷)に粉末工場を設置 | 当社の歩み | |
3月14日 | 東京支店 東京薬種貿易商同業組合に加盟 | 当社の歩み | |
7月13日 | 東京薬種貿易商同業組合創立 | 内外事情 | |
10月16日 | 大阪製薬同業組合創立に際し同組合に加盟 | 当社の歩み | |
- | 高峰譲吉 アドレナリンを発見 | 内外事情 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟条約締結 | 内外事情 | |
10月12日 | 東京支店 東京市日本橋区大伝馬町一丁目二五番地へ移転 | 当社の歩み | |
12月11日 | 大阪製薬同業組合設立認可 | 内外事情 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月23日 | 定款変更 会社の目的に「アルコールの製造販売」を追加 | 当社の歩み | |
5月26日 | 名古屋販売店を名古屋市京町三丁目四四番地 小島定七方に設置 | 当社の歩み | |
7月1日 | 大阪市で開催された第五回内国勧業博覧会で 当社製薬事業に対し一等賞牌を受く | 当社の歩み | |
8月22日 | 東京市電 新橋―品川間開通 | 内外事情 | |
9月12日 | 大阪市電 築港―花園橋間開通 | 内外事情 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 日露戦争勃発 | 内外事情 | |
3月31日 | 医薬用工業用酒精戻税法改正 | 内外事情 | |
5月22日 | 大阪実業協会主催の内国製産品評会において 当社製薬事業に対し一等賞牌を受く | 当社の歩み | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | アルコール製造資金に充当するため 社債三万円を募集することを決議 | 当社の歩み | |
5月6日 | 売薬税法改正公布 | 内外事情 |