※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月5日 | ポーツマス日露講和条約調印 | 内外事情 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月23日 | 工業用酒精酒類その他酒精含有飲料戻税法公布(医薬品の酒精戻税廃止) | 内外事情 | |
7月2日 | 第三改正日本薬局方公布 | 内外事情 | |
10月6日 | 事業拡張資金として第二回社債七万円募集を決議 | 当社の歩み | |
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月9日 | 薬品営業並薬品取扱規則改正公布(指定医薬品制度を定める) | 内外事情 | |
7月6日 | 東京勧業博覧会において 当社出品のアルコール及び薬局製剤に対し記念一等賞牌を受く | 当社の歩み | |
10月5日 | 日野社長 長井博士と同行し欧米各国の薬業事情視察に出発(41・3帰国) | 当社の歩み | |
12月11日 | 何れの薬局方にも記載せざる薬品又は製剤取締に関する件公布(新薬新製剤に関する規定) | 内外事情 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 大阪薬品試験株式会社(大阪市東区北浜三丁目三六番屋敷)を合併//試験部を同所に設置 海老江の製薬所を製薬部と呼称//新資本金 二四万二五〇〇円 | 当社の歩み | |
8月5日 | 大阪府三島郡豊川村字粟生に粉末工場を設置 粉末部と呼称 | 当社の歩み | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | 種痘法公布 | 内外事情 | |
9月28日 | 増資決議 新資本金 三〇万円 | 当社の歩み | |
- | 秦佐八郎 サルバルサン創製 | 内外事情 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月24日 | 第三回社債一〇万円募集を決議 | 当社の歩み | |
8月22日 | 韓国併合に関する条約調印 | 内外事情 | |
- | 鈴木梅太郎 ビタミンB1発見 | 内外事情 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月21日 | 日米通商航海条約調印(関税自主権を確立) | 内外事情 | |
3月28日 | 本店を大阪市東区北浜三丁目一四番地へ移転決議 | 当社の歩み | |
3月29日 | 工場法公布(大正5・9・1施行) | 内外事情 | |
11月20日 | 大阪府外三県連合酒類醤油品評会において 当社アルコール及び無水アルコール一等賞牌を受く | 当社の歩み |