※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | 度量衡法改正法公布(メートル法採用) | 内外事情 | |
4月20日 | 増資決議 新資本金 二〇〇万円 | 当社の歩み | |
10月29日 | ヒドノールの広告を朝日新聞に掲載(当社最初の広告) | 当社の歩み | |
12月13日 | ワシントン会議 日・英・米・仏四国条約調印 日英同盟廃棄 | 内外事情 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 東京支店 東京市日本橋区本町四丁目四番地へ移転 | 当社の歩み | |
4月22日 | 健康保険法公布 | 内外事情 | |
7月10日 | 東京で開催された平和記念博覧会において 当社出品の無水アルコール、没食子酸、焦性没食子酸及び局方製剤に対し名誉賞牌を受く | 当社の歩み | |
7月31日 | 大阪市東区道修町三丁目二五番地の土地、建物を購入 | 当社の歩み | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災のため東京支店の建物、商品等を焼失 支店業務は東京支店附属工場に移して行う | 当社の歩み | |
9月1日 | 関東大震災 | 内外事情 | |
9月7日 | モラトリアム令公布 | 内外事情 | |
10月1日 | 震災による薬品需要激増に対処するため 西堀川工場を分工場と改称し試験薬品の小分事業を開始 | 当社の歩み | |
11月12日 | 東京支店所在地に仮建物を建築し東京支店復帰す | 当社の歩み | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
6月24日 | 定款変更 会社の目的に「食料品の製造並に販売」を追加(水飴製造) | 当社の歩み | |
7月1日 | メートル法実施 | 内外事情 | |
9月27日 | 中華民国商標局より登録商標〓[○+P]印及び女神印の商標権取得の証を受く | 当社の歩み | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月16日 | 東京工場附属の東京研究所を東京市本郷区駒込動坂町一〇〇番地に設置 | 当社の歩み | |
4月14日 | 薬剤師法公布 | 内外事情 | |
4月22日 | 治安維持法公布(5・11施行) | 内外事情 | |
5月5日 | 普通選挙法公布 | 内外事情 |