※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
6月29日 | 輸入品防遏の功績に対して日本産業協会より 小磯社長に対し功績表彰状を受く | 当社の歩み | |
7月12日 | 東京放送局(JOAK)ラジオ放送開始 | 内外事情 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月8日 | 取締役社長 小磯吉人 死去 | 当社の歩み | |
2月18日 | 上村長兵衛 取締役社長に就任 | 当社の歩み | |
3月27日 | 売薬税法廃止 | 内外事情 | |
5月13日 | 東京で開催された第二回工業博覧会において 当社出品に対し名誉賞牌及び銀牌を受く | 当社の歩み | |
7月1日 | 健康保険法施行 | 内外事情 | |
10月24日 | 日本薬剤師会設立 | 内外事情 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御 年号を「昭和」と改元 | 内外事情 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌起こる | 内外事情 | |
4月22日 | モラトリアム施行 | 内外事情 | |
5月12日 | 取締役兼本店支配人 滝野勇 長井長義博士に同行し欧米薬業界視察のため出発(12・9帰国) | 当社の歩み | |
7月1日 | 薬品小分量目にメートル法を採用 | 当社の歩み | |
9月1日 | 台湾出張所を台北市御成町五丁目六番地に開設 | 当社の歩み | |
12月30日 | 東京地下鉄 上野‐浅草間開通 | 内外事情 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 第一回衆議院議員普通選挙実施 | 内外事情 | |
6月4日 | 東京支店の敷地を買収し 大伝馬町一丁目二五番地の旧支店敷地を売却 | 当社の歩み | |
6月4日 | 張作霖爆死事件 | 内外事情 | |
11月10日 | 今上陛下即位礼挙行 | 内外事情 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 顧問長井長義博士 死去 | 当社の歩み |