日本セメント(株)『80年の歩み』(1963.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
嘉永元年(1848) - 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
3月10日 初代浅野総一郎が富山県氷見郡藪田村村医浅野泰順の長子として生まる。幼名泰治郎 当社
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】大蔵省を辞める。第一国立銀行開業・総監役。抄紙会社創立(後に王子製紙会社・取締役会長)。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
10月 浅野総一郎、横浜住吉町にて大塚屋大熊良三の名をもって、石炭・薪炭の販売を開始 当社
- 大蔵省土木寮建築局の手により、深川清住町1番地に摂綿篤製造所創設(秋ごろか) 業界(工部省関係および外国を含む)
- イギリスで回転窯発明さる 業界(工部省関係および外国を含む)
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取。商法講習所創立。東京会議所会頭。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
5月 宇都宮三郎、湿式焼成法を採用し、摂綿篤製造所に焼成窯等を新設、わが国最初のポルトランドセメントを焼成 業界(工部省関係および外国を含む)
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月 官制改革により工部省工作局が設置され、深川工場は「深川工作分局」と呼称さる 業界(工部省関係および外国を含む)
2月 西南戦争(~9月) 一般(政治・経済・社会)
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社創立・社員(後に日本赤十字社・常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
4月 セメント容量の貫目建を廃し,ポンド建とし、量り売りを開始 業界(工部省関係および外国を含む)
11月 政府、官営工場の整理を命ず 一般(政治・経済・社会)
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問 〔41歳〕 渋沢関係略年譜
5月 笠井順八、民営セメント製造会社(小野田セメント社の前身)を設立 業界(工部省関係および外国を含む)
10月 日本銀行開業 一般(政治・経済・社会)
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。ちよ夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
2月 東洋組創設、愛知県渥美郡田原町二ツ坂にセメント工場新設(三河セメント社の前身) 業界(工部省関係および外国を含む)
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社工場落成・発起人(後に相談役)。伊藤かねと再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
4月16日 浅野総一郎、渋沢栄一らの助力を得て、深川工作分局を借り受く 当社
9月 工部省工作局廃止 業界(工部省関係および外国を含む)
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長日本鉄道会社理事委員(後に取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
7月8日 浅野総一郎、深川工場の土地建物ともに払い下げを受け、浅野工場と命名、匿名組合で発足(月産800樽=約145t) 当社
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に取締役)。東京瓦斯会社創立(創立委員長、後に取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
10月 商標「地紙及開キ懸扇子小口ノ図」を定め登録 当社
12月 工部省廃止 業界(工部省関係および外国を含む)
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・発起人(後に取締役会長)。帝国ホテル創立・発起人総代(後に取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
1月 初めて東京に電灯がつく 一般(政治・経済・社会)
- 浅野工場の第1次増設(月産3,000樽=約540t) 当社
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
5月 北村精造、大阪府木津川畔に千島セメント製造所(大阪木津川セメント社、すなわち現・当社大阪工場の前身)を設立 業界(工部省関係および外国を含む)
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