(株)ノリタケカンパニーリミテド『Noritake 100 : 1904-2004』(2004.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
10月 工業用研削砥石の本格的製造開始 当社事項
12月 広瀬実光会長、飯野逸平社長就任 当社事項
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
1月 日米通商航海条約失効 一般事項
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
4月 砥石部設置 当社事項
4月 モリムラブラザーズ閉鎖 当社事項
7月 米・英・蘭印、日本資産を各凍結 一般事項
12月 日本、米・英に宣戦布告 一般事項
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
4月 米軍機、東京・名古屋・神戸などを初空襲 一般事項
11月 社長飯野逸平辞任、森村義行社長就任 当社事項
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
8月 食器生地製造中止(12月、画付け中止)。研削砥石製造へ全面転換 当社事項
9月 イタリア、無条件降伏 一般事項
12月 政府よりボーンチャイナ技術保存の指定を受け、製造を継続 当社事項
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
8月 研削砥石の生産一時停止 当社事項
8月 太平洋戦争終結の詔書 一般事項
9月 食器生産の再開(10月、画付け開始) 当社事項
10月 GHQ、政治・経済・文化の民主化を指令 一般事項
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月 GHQ、公職追放を指令 一般事項
3月 「ノリタケチャイナ」の商標使用保留を決定し「ローズチヤイナ」を使用 当社事項
3月 研削砥石の生産再開 当社事項
6月 貿易等臨時措置法公布 一般事項
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