"森本準一"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和3年(1928) | 3月 | 取締役社長伊藤乙次郎、専務取締役依岡省輔、取締役鈴木岩治郎各辞任、常務取締役田宮嘉右衛門は専務取締役に、取締役松尾忠二郎は常務取締役に各就任、新たに元海軍主計中将永安晋次郎は取締役社長に、森本準一、遠藤寿一、前田忠は各取締役に、曾我祐邦は監査役に各就任 | 神鋼重要事項 |
昭和4年(1929) | 3月 | アメリカ国内屑鉄の市況調査のため取締役森本準一、技師芦原光太郎アメリカに出張、芦原光太郎はドイツ、デマーグ社よりモル式平炉設計図購入につき、その実地作業見学のためアメリカよりさらにドイツに出張 | 神鋼重要事項 |
12月 | 取締役松尾忠二郎、三上英果各取締役を辞任(株式会社播磨造船所取締役に転出)し、取締役森本準一、遠藤寿一は各常務取締役に就任 | 神鋼重要事項 | |
昭和10年(1935) | 2月 | 取締役社長田宮嘉右衛門、常務取締役森本準一、同浅田長平を会社を代表すべき取締役に選任 | 神鋼重要事項 |
昭和17年(1942) | 3月 | 田宮嘉右衛門日本エヤーブレーキ株式会社々長を辞任し、森本準一は同社々長に、田宮嘉右衛門は同社相談役に就任の件決定 | 神鋼重要事項 |
昭和19年(1944) | 1月 | 軍需会社法第四条第一項により社長田宮嘉右衛門生産責任者となり、代表取締役田宮嘉右衛門、浅田長平、森本準一、小田島修三、田子富彦、土屋行蔵は各代表取締役としての資格喪失 | 神鋼重要事項 |
昭和20年(1945) | 9月17日 | 取締役社長田宮嘉右衛門、常務取締役森本準一、同土屋行蔵、取締役南久寿象、同守谷七之進、同芦原光太郎、同吉田正助、監査役佐々木義彦、同川崎肇各辞任し、田宮嘉右衛門に相談役を、森本準一に顧問役を各委嘱、互選の結果浅田長平は取締役社長に、田子富彦は取締役副社長に、高橋良次は常務取締役に各就任 | 神鋼重要事項 |
昭和26年(1951) | 6月20日 | 田宮嘉右衛門、森本準一、竹岡筍三追放解除 | 神鋼重要事項 |
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