"田宮嘉右衛門"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治39年(1906) | 10月1日 | 田宮嘉右衛門神戸製鋼所々長に就任 | 神鋼重要事項 |
- | 田宮嘉右衛門旅順口における港口閉塞沈船の引揚状況視察のため大連に出張 | 神鋼重要事項 | |
明治44年(1911) | 6月28日 | 神戸製鋼所を合名会社鈴木商店より分離し株式会社神戸製鋼所を創立//商号 株式会社神戸製鋼所//資本金 壱百四拾万円//本店 神戸市葺合区脇浜町一丁目//支店 東京、門司、呉//目的 鋳鋼、鍜鋼、船舶並びに諸機械の製造および工業用品の販売、代理店//取締役社長 黒川勇熊//取締役 田宮嘉右衛門//取締役 依岡省輔//監査役 吉井幸蔵//監査役 鈴木岩治郎 | 神鋼重要事項 |
大正2年(1913) | 5月 | 取締役田宮嘉右衛門は製鋼事業視察のため鋳物技師諏訪常次郎同伴欧洲に出張 | 神鋼重要事項 |
大正8年(1919) | 8月 | 常務取締役田宮嘉右衛門、技師柴田保之助、古知幸二郎、顧問平野豪、牧野立は製鋼事業視察、技師近藤角太郎はディーゼル・エンジン研究、技師横田種一は紡績機械研究のため各欧米に出張 | 神鋼重要事項 |
昭和3年(1928) | 3月 | 取締役社長伊藤乙次郎、専務取締役依岡省輔、取締役鈴木岩治郎各辞任、常務取締役田宮嘉右衛門は専務取締役に、取締役松尾忠二郎は常務取締役に各就任、新たに元海軍主計中将永安晋次郎は取締役社長に、森本準一、遠藤寿一、前田忠は各取締役に、曾我祐邦は監査役に各就任 | 神鋼重要事項 |
昭和9年(1934) | 8月 | 専務取締役田宮嘉右衛門は取締役社長に、浅田長平は常務取締役に各就任 | 神鋼重要事項 |
昭和10年(1935) | 2月 | 取締役社長田宮嘉右衛門、常務取締役森本準一、同浅田長平を会社を代表すべき取締役に選任 | 神鋼重要事項 |
8月 | 取締役社長田宮嘉右衛門、常務取締役浅田長平各重任、取締役常盤秀二退任、新たに小田島修三取締役に就任 | 神鋼重要事項 | |
昭和17年(1942) | 3月 | 田宮嘉右衛門日本エヤーブレーキ株式会社々長を辞任し、森本準一は同社々長に、田宮嘉右衛門は同社相談役に就任の件決定 | 神鋼重要事項 |
昭和19年(1944) | 1月 | 軍需会社法第四条第一項により社長田宮嘉右衛門生産責任者となり、代表取締役田宮嘉右衛門、浅田長平、森本準一、小田島修三、田子富彦、土屋行蔵は各代表取締役としての資格喪失 | 神鋼重要事項 |
昭和20年(1945) | 8月15日 | 終戦の詔書渙発、同時に軍需会社の指定を解除され生産責任者田宮嘉右衛門、生産責任者の資格喪失 | 神鋼重要事項 |
9月17日 | 取締役社長田宮嘉右衛門、常務取締役森本準一、同土屋行蔵、取締役南久寿象、同守谷七之進、同芦原光太郎、同吉田正助、監査役佐々木義彦、同川崎肇各辞任し、田宮嘉右衛門に相談役を、森本準一に顧問役を各委嘱、互選の結果浅田長平は取締役社長に、田子富彦は取締役副社長に、高橋良次は常務取締役に各就任 | 神鋼重要事項 | |
昭和21年(1946) | 12月19日 | 取締役会において取締役社長浅田長平、相談役田宮嘉右衛門、取締役副社長田子富彦、常務取締役小田島修三、取締役高畑誠一、監査役竹岡筍三各辞任し、互選の結果町永三郎は取締役社長に、杉本正幸は常務取締役(各代表取締役)に就任 | 神鋼重要事項 |
昭和26年(1951) | 6月20日 | 田宮嘉右衛門、森本準一、竹岡筍三追放解除 | 神鋼重要事項 |
6月 | 田宮嘉右衛門に相談役委嘱 | 神鋼重要事項 | |
昭和28年(1953) | 11月 | 相談役田宮嘉右衛門は過去五十年にわたり鉄鋼界に貢献した業績は大であり、産業界の至宝であるとの讃辞と共に兵庫県より産業功労賞を受く | 神鋼重要事項 |
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