"田宮嘉右衛門"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治38年(1905) | 10月 | 田宮嘉右衛門、支配人に就任 従業員41人//設備 3.5トンシーメンス炉1基、3トン・1.5トン・0.5トンハンマ各1台、10トンクレーン1基//製品 金床、錨、トロッコ車輪 | 当社の沿革 |
明治44年(1911) | 6月 | 株式会社神戸製鋼所発足 資本金140万円//取締役社長 黒川勇熊/常務取締役 田宮嘉右衛門/取締役 依岡省輔/監査役 吉井幸蔵/監査役 鈴木岩治郎//本社 神戸市脇浜町1丁目//社章 菱S(〓[マーク])とする//鋳鋼工場、機械工場を増設、設備は以下の通り 溶解工場 5トン・15トン平炉各1基/鋳鋼工場 乾燥炉2、25トン・15トン・10トン・5トンクレーン各1基/合金工場 自然通風炉3/鍛造工場 3トン・1.5トン・0,5トンスチームハンマ各1台/第1機械工場 工作機械75台、5トンクレーン3基/第2機械工場 各種工作機械187台、20トンクレーン1基、5トンクレーン3基、3トンクレーン1基 | 当社の沿革 |
昭和9年(1934) | 8月 | 専務取締役田宮嘉右衛門、第5代取締役社長に就任 | 当社の沿革 |
昭和10年(1935) | 8月 | 15年会が発起し、田宮嘉右衛門の還暦を祝って全従業員から胸像を贈呈 | 当社の沿革 |
昭和19年(1944) | 1月 | 軍需会社法に基づき、取締役社長、田宮嘉右衛門は生産責任者に就任(代表取締役は代表権を失う) | 当社の沿革 |
昭和26年(1951) | 6月 | 田宮嘉右衛門、公職追放解除 | 当社の沿革 |
昭和34年(1959) | 4月 | 田宮嘉右衛門、神鋼病院で死去(83歳)。神戸栄光教会で社葬、従5位勲3等を追叙される。翁の遺徳を顕彰するため関係会社が「田宮記念事業会」を設立 | 当社の沿革 |
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