※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月12日 | 井上馨、伊藤博文・井上勝・山尾庸三・遠藤謹助とヨーロッパへ出発 | 世界と日本 | |
文久4年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月8日 | リンカーン、米大統領に再選 | 世界と日本 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月9日 | アメリカ、南北戦争終わる | 世界と日本 | |
12月18日 | アメリカ全土で奴隷制度廃止 | 世界と日本 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月27日 | 久原市郎(のちに田村市郎)が長州萩に生まれる | ニッスイグループ | |
- | ・この年より'69年まで大凶作続く、米価暴騰、庶民困窮 | 世界と日本 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 大政奉還 | 世界と日本 | |
12月9日 | 王政復古の大号令 | 世界と日本 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月14日 | 五箇条の御誓文渙発 | 世界と日本 | |
7月17日 | 江戸を東京と改める | 世界と日本 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 「明治」と改元 | 世界と日本 | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ・ノルウェーのスヴェン・フォイン、実用的な捕鯨砲を完成 | 関連業界 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 場所請負制度廃止(北海道開拓使布達) | 関連業界 | |
1月1日 | 観音崎灯台点灯(洋式灯台のはじめ) | 世界と日本 | |
6月17日 | 版籍奉還 | 世界と日本 | |
11月17日 | スエズ運河開通 | 世界と日本 | |
12月25日 | 東京―横浜間に電信開通 | 世界と日本 | |
- | ・松田雅典、フランス人から缶詰製法を習得 | 関連業界 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月27日 | 商船規則布告 | 世界と日本 | |
1月27日 | 郵便規則制定 | 世界と日本 |