日本軽金属(株)『日本軽金属二十年史』(1959.12)

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月日 事項 年表種別
昭和13年(1938) 1月 上島清蔵著「本邦におけるアルミニウム事業の生産拡充とその統制について」が発行され、業者の注目をひく。 当社
昭和14年(1939) 5月4日 常務取締役上島清蔵は山田雄吉を伴ないボーキサイト供給契約更改および発注機械の製作状況視察のため欧米に出張す。 当社
8月 常務取締役上島清蔵ヘーグにおいて日蘭商事とニベムの間にボーキサイト供給の契約更改を行なう。 当社
10月 常務取締役上島清蔵欧米出張より帰国す。 当社
昭和15年(1940) 7月 常務取締役上島清蔵ビンタン・ボーキサイトの件につき蘭印に出張す。この出張中、日蘭会商の小林全権の金属部顧問となる。 当社
12月20日 常務取締役上島清蔵南方出張より帰国す。 当社
昭和16年(1941) 7月 日本ピッチコークス工業の第2回増資に際し、その半額を引受け、当社より社長に中川末吉、取締役に上島清蔵、山田康太郎、萩原英雄就任し経営の任にあたる。 当社
昭和17年(1942) 2月24日 陸軍次官通牒をもって古河鉱業は上島清蔵を責任者として、ビンタン・ボーキサイト開発の命令を受く。 当社
4月11日 常務取締役上島清蔵ビンタン・ボーキサイト鉱業所開発責任者として現地に出張す。 当社
7月 常務取締役上島清蔵はビンタンの責任者を安東俊暎に譲り帰国す。 当社
昭和18年(1943) 10月 常務取締役上島清蔵南方工場建設につき現地軍当局と打ち合わせのため出張す。 当社
12月15日 常務取締役上島清蔵南方出張より帰任す。 当社
昭和19年(1944) 2月21日 常務取締役上島清蔵、同山田康太郎本店の生産担当者に就任す。 当社
昭和20年(1945) 5月1日 昭和電極と共同して日本電極を設立す。当社より取締役として上島清蔵、武田秀治、安田幾久男、監査役として草野義一就任す。 当社
昭和21年(1946) 11月17日 山田康太郎取締役社長を辞任す。西田伝五郎、武田秀治取締役副社長を辞任す。上島清蔵取締役を辞任す。西田伝五郎特別管理人を辞任す。 当社
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