(株)島津製作所『島津製作所改組三十五年記念誌』(1952.11)

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月日 事項 年表種別
明治8年(1875) 3月 先代島津源蔵が京都市木屋町二条下ル西生洲町に於て、理化学器械製造の業を創める、これが当社の濫觴である。 改組以前
大正6年(1917) 9月1日 株式組織に改め資本金200万円を以て新発足。創立総会を京都商工会議所に於て開催し役員に下記の者就任。//取締役 島津源蔵 島津源吉 島津常三郎 藤井善助 内貴清兵衛 松村甚右衛門//監査役 稲畑勝太郎 河崎助太郎 乾康平 改組以後
9月1日 同日取締役会に於て社長及常務取締役を互選の結果次の通り就任した。//社長 島津源蔵//常務取締役 島津源吉 島津常三郎//尚原始定款に定めた営業目的は次の通り。//1 学術用機械器具の製作並に販売//1 医療用電気機械器具の製作並に販売//1 化学工業用及各種工業用機械器具の製作並に販売//1 電気機械器具の製作並に販売//1 博物学其他の標本及模型の製作並に販売//1 以上の目的に附帯する業務 改組以後
昭和3年(1928) - 社長島津源蔵は多年実業界に尽した功績並に発明の功労によつて勲五等に叙せられ瑞宝章を授けられた。 改組以後
昭和4年(1929) 10月 社長島津源蔵の叙勲並に還暦を祝して当社及び日本電池株式会社従業員一同が寿像を社長山荘に建立した。 改組以後
昭和5年(1930) 12月 社長島津源蔵は本邦十大発明家の中に加えられ宮中において賜餐の光栄に浴した。 改組以後
昭和8年(1933) 4月 社長島津源蔵は其の発明に係る易反応性鉛粉製造法に付いて帝国発明協会から恩賜記念賞及び賞金を授与せられた。 改組以後
昭和14年(1939) 6月 取締役会長に島津源蔵、社長に島津源吉、副社長に島津常三郎就任。 改組以後
昭和20年(1945) - 戦後の新時態に対処、重役陣の改選を行い、取締役会長に島津源吉、取締役社長に鈴木庸輔が就任し、島津源蔵、島津常三郎は夫々取締役会長、副社長を退任した。 改組以後
昭和25年(1950) - 島津源蔵藍綬褒章を受く。 改組以後
昭和26年(1951) 10月 北白川の山荘において療養中の初代社長島津源蔵氏は2日早朝永眠せられ、10月14日西大谷本廟に於て当社、日本電池、日本輸送機、大日本塗料の四社合同葬儀を厳修した。翁の逝去に先立ち特旨を以て正五位勲三等を賜わり生前の功績を嘉せられた。 改組以後
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