"島津源蔵"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治8年(1875) | 3月 | 初代島津源蔵(当時満35歳)創業 京都木屋町二条下ル西生洲町南端の一小屋において理化学器械製造の業をはじめる(現創業景仰碑所在地) | 社内事項 |
明治17年(1884) | - | ウイムシャースト式感応起電機を梅治郎(後の2代目島津源蔵)が製作「島津の電機」と呼ばれ以降数十年理科教育に使用された | 社内事項 |
明治19年(1886) | 9月 | 初代島津源蔵 京都師範学校教師を兼ねる 明治20年6月 梅治郎が父源蔵に代って教師を兼ねる | 社内事項 |
明治27年(1894) | 12月8日 | 初代島津源蔵死去 長男梅治郎が源蔵と改名所主となる | 社内事項 |
明治43年(1910) | 4月 | 所主島津源蔵 清国各地を視察(清国訪問団京都代表) | 社内事項 |
6月5日 | 所主島津源蔵 農商務大臣から功労賞(銀杯)を受ける | 社内事項 | |
大正2年(1913) | 7月18日 | 所主島津源蔵 欧米各地の機械・電気諸事業の視察に出発(11月16日帰朝) | 社内事項 |
大正5年(1916) | 11月26日 | 所主島津源蔵 緑綬褒章を受ける | 社内事項 |
大正6年(1917) | 1月17日 | 日本電池株式会社を設立 (蓄電池工場を分離) 蓄電池の基本特許「易反応性亜酸化鉛粉製造法」(社長島津源蔵発明)は大正11年2月13日特許登録される | 社内事項 |
9月1日 | 株式会社島津製作所を設立(改組 資本金200万円払込100万円)//取締役社長島津源蔵 常務取締役島津源吉・島津常三郎就任 | 社内事項 | |
昭和3年(1928) | 11月10日 | 社長島津源蔵 勲五等瑞宝章を受ける | 社内事項 |
昭和5年(1930) | 12月11日 | 社長島津源蔵 わが国十大発明家の一人として賜餐にあずかる | 社内事項 |
昭和8年(1933) | 4月22日 | 社長島津源蔵 帝国発明協会から恩賜記念賞を受ける(易反応性亜酸化鉛粉製造法の発明に対し)常務取締役島津源吉 同じく進歩賞を受ける(島津式エアーガス発生器の発明に対し) | 社内事項 |
昭和13年(1938) | 5月15日 | 創業景仰碑の除幕式を挙行(初代島津源蔵生誕100年記念) | 社内事項 |
昭和14年(1939) | 6月27日 | 取締役会長島津源蔵 取締役社長島津源吉 取締役副社長島津常三郎就任 | 社内事項 |
昭和20年(1945) | 11月27日 | 取締役会長島津源吉 取締役社長鈴木庸輔就任 島津源蔵および島津常三郎は相談役となる | 社内事項 |
昭和25年(1950) | 10月19日 | 島津源蔵 藍綬褒章を受ける | 社内事項 |
昭和26年(1951) | 10月3日 | 前社長島津源蔵死去 特旨叙勲 正五位勲三等瑞宝章(10月14日西大谷本廟にて島津製作所・日本電池・大日本塗料・日本輸送機の4社合同葬を執行) | 社内事項 |
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