富士重工業(株)『富士重工業三十年史』(1984.07)

"中島喜代一"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正9年(1920) 12月3日 中島喜代一副所長(知久平の次弟)、木材買い付けのためカナダへ渡航 中島飛行機
大正13年(1924) 9月 中島喜代一を欧米航空界視察ならびに東京工場用機械買い付けに派遣 中島飛行機
大正15年(1926) 3月6日 中島喜代一を欧米航空界視察ならびにジュピター図面・治工具購入のため再度欧米に派遣 中島飛行機
昭和6年(1931) 12月15日 中島飛行機株式会社と改称 資本金:600万円//本社:群馬県太田町 工場:太田工場、東京工場//社長:中島喜代一 副社長:中島乙未平 中島飛行機
昭和14年(1939) 11月15日 田無鋳鍛工場を独立させ中島航空金属(株)設立//資本金:1,000万円 社長:中島喜代一 中島飛行機
昭和20年(1945) 4月1日 「航空機事業国営に関する件」が閣議決定され、中島飛行機は軍需省通達により国家管理の第一軍需工廠となり、中島喜代一が長官に任命される//設立時の規模は、工場数102(疎開工場を含めると500)、敷地3,531万m2、建物232.3万m2、機械3万735台、人員25万名 中島飛行機
昭和22年(1947) 7月20日 元中島飛行機(株)社長・中島喜代一死去 富士産業
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