※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和30年(1955) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会、『渋沢栄一伝記資料』第1巻を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | MITI経済6ケ年計画案作成(1960の鋼材生産目標795万トン) | ||
昭和31年(1956) | - | 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | MITI鉄鋼需給20ケ年計画発表(1975粗鋼2519万トン) | ||
昭和32年(1957) | - | 【渋沢敬三】第16回ICC総会に日本代表団団長として出席のため渡欧。外務省顧問に就任、「移動大使」として中南米諸国を歴訪。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 輸組カルカッタ事務所開設 | ||
- | ブラジル ミナス製鉄所建設調印 | ||
- | 米国西海岸向け丸釘窓口輸出制度がアンチ-トラスト法違反として木下商店が刑事訴追され、6商社が民事訴追される。(3年後に終結) | ||
昭和33年(1958) | - | 【渋沢敬三】角川書店より『南米通信 : アマゾン・アンデス・テラローシャ』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 訪中鉄鋼使節団(稲山団長)日中長期求償協定調印(2億ポンド往復5ヶ年) | ||
- | 輸組ニューデリー事務所開設 | ||
- | 線材製品輸出協会発足 | ||
- | 長崎国旗事件発生 | ||
昭和34年(1959) | - | 【渋沢敬三】日本学術振興会より『明治前日本漁業技術史』刊行。角川書店より『日本魚名の研究』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米国鉄鋼メーカーが2月に日本製鋼材輸入をダンピング防止法違反として提訴(1960年6月商務省提訴を却下) | ||
- | 日本ステンレス協会設立 | ||
- | 34年度鉄鋼輸出$29,000万(戦後記録) | ||
昭和35年(1960) | - | 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日米新安全保障条約発効 | ||
昭和36年(1961) | - | 【渋沢敬三】角川書店より『犬歩当棒録 : 祭魚洞雑録第三』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 鉄鋼6社長期設備計画発表、1960年迄に生産を倍増 総額1兆14億円を投資 | ||
昭和37年(1962) | - | 【竜門社】寄託中の日本実業史博物館準備室旧蔵資料を文部省史料館に寄贈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 市況対策委員会鉄鋼輸出部会:高炉9社の輸出義務制を決定 | ||
- | 日中総合貿易覚書(LT貿易)調印(5ヶ年) | ||
昭和38年(1963) | - | 【渋沢敬三】昭和37年度「朝日賞」文化賞受賞、贈呈式に出席。10/25死去。その直前に勲一等瑞宝章を授与さる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米国西海岸向けガス管輸出協力会発足 | ||
昭和39年(1964) | - | 【竜門社】曖依村荘内の表門、晩香廬、青淵文庫の改修工事を終了する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日中鉄鋼取引連絡会(斎藤英四郎代表)設置 | ||
- | ヴエトナム・トンキン湾事件発生(1965年2月米機北ヴエトナム爆撃開始) | ||
- | 東京オリンピック開催 |