三菱商事(株)『三菱商事50年史 : 1954-2004』(2008.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
11月 (九十九商会) 九十九商会の名称で営業の官許を得る(明治3年閏10月) 三菱本社・旧三菱商事関連
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
8月 廃藩置県の詔書発布(明治4年7月14日) 国内外一般
10月 (九十九商会) 岩崎弥太郎、九十九商会の経営を引受け(明治4年9月) 三菱本社・旧三菱商事関連
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
2月 (三川商会) 社名を三川商会と改称して新発足(明治5年1月) 三菱本社・旧三菱商事関連
12月 太陰暦を廃し、太陽暦採用を布告(明治5年11月9日。旧暦同年12月3日をもって新暦明治6年1月1日とする) 国内外一般
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 (三菱商会) 社名を三菱商会に改称。弥太郎が社主の地位に就く 三菱本社・旧三菱商事関連
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
5月 台湾出兵 国内外一般
7月 (三菱商会) 台湾出兵により軍事輸送の命を受け、同時に官船13隻を寄託される(三菱商会、三菱蒸汽船会社名義で受諾) 三菱本社・旧三菱商事関連
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
2月 (三菱商会) 下関支店および上海支店を設置 三菱本社・旧三菱商事関連
5月 (三菱商会) 「会社規則」を制定 三菱本社・旧三菱商事関連
9月 (郵便汽船三菱会社) 政府より郵便輸送の認可を得て、社名を郵便汽船三菱会社とする 三菱本社・旧三菱商事関連
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月 西南戦争起こる(~9月) 国内外一般
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
10月 (郵便汽船三菱会社) 香港支社を設置、香港航路を開設 三菱本社・旧三菱商事関連
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
5月 (郵便汽船三菱会社) 高島炭坑長崎事務所を設置、売炭を始める(長崎事務所直売) 三菱本社・旧三菱商事関連
10月 明治14年の政変(大隈重信失脚) 国内外一般
12月 (郵便汽船三菱会社) 吉岡鉱山の資本金を設定し、最初の「売銅規定」を制定(売銅は吉岡銅山直売。神戸支店所管) 三菱本社・旧三菱商事関連
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
2月 (郵便汽船三菱会社) 岩崎弥太郎没。岩崎弥之助、二代目社長に就任 三菱本社・旧三菱商事関連
5月 日銀、初めて兌換銀行券を発行 国内外一般
9月 (郵便汽船三菱会社) 共同運輸とともに日本郵船会社を設立することになり、海運業を閉じ日本郵船に移す(第一次自営船時代終わる) 三菱本社・旧三菱商事関連
12月 内閣制度が確立し、第一次伊藤博文内閣成立 国内外一般
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