四国化成工業(株)『四国化成五十年史』(1997.10)

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目次項目 ページ
社史刊行にあたって 取締役会長・赤沢淳 VI
水と緑の町並み再生を 取締役社長・藤沢信夫 p314
序章 戦後日本とともに歩んだ半世紀 p11
第一世代ベンチャービジネスの誕生 p12
天の秋、地の利、人の和―昭和20年代 p12
技術革新の波―昭和30年代 p13
経営近代化へのスタート p14
日本経済の屈折点に世代交代―昭和40年代 p14
「量」から「質」への転換―昭和50年代 p16
グローバル戦略と苦渋の決断―昭和60年代 p17
多角化戦略 p18
そして、今日...... p18
第1部 ひたむきに化学に生きる 〔21〕
第1章 創業期の群像 p23
第1節・四国の春 p23
独創性を志す p23
多津と横山の出会い p24
寿覚院を本拠に事業構想を練る p24
二硫化炭素に着目 p25
後発戦略 p26
新製法の誕生 p27
第2節・新製法による二硫化炭素の工業化 p29
炭化ケイ素発熱体「テコランダム」 p29
丸亀高女の理科室で基礎実験 p29
実証実験で初の二硫化炭素精製 p30
製造原価の試算 p30
急を要した人絹増産と二硫化炭素 p31
第3節・GHQのお墨付き p33
GHQからの呼び出し状 p33
威力を発揮したスプレーグ氏の推薦状 p34
第4節・資金集め p36
出資者を求めて p36
発起人総会 p37
地元の有力者 p38
戦友の縁で復金融資に成功 p39
第5節・人材を求めて p41
同志の参加 p41
創業の人々 p41
初の社員募集 p42
第6節・亀陽航空工業跡地 p43
戦時中の航空機部品工場跡地 p43
設備をそっくり活用 p44
第7節・原始定款草案 p46
200万円に増額された資本金 p46
会社設立を申請 p47
新円不足の中での払い込み p47
第8節・創立総会 p48
正式の会社発足 p48
二転三転した株主と役員 p49
地元丸亀資本中心に移行 p50
第9節・製法特許の申請 p51
素早い特許申請 p51
特許重視の社風 p52
第10節・社内報「天才児構成」に見る揺籃期 p52
凡才を結集して天才を生む p52
社内報と研究レポートをドッキング p53
苦闘の1年を回顧 p54
特集主義に転換 p55
第2章 事業の基礎固め p58
第1節・二硫化炭素発生炉の変遷 p58
中間実験炉による製造実験(第1回中間実験炉による実験、第2回中間実験炉による実験、第3回中間実験炉による実験) p58
1号炉火入れ式 p60
試験と生産を繰り返す日々 p60
1号炉および2号炉(電気式) p61
3号炉(電気・ガス併用式) p61
4号炉(電気・ガス併用式) p61
5号炉(オールガス・硫黄噴霧式) p61
6号炉(重油式) p62
7号炉(電気式) p62
試行錯誤の炉材選択 p62
第2節・東邦レーヨンの資本参加 p64
初めての法人株主 p64
背景に有無相通ずる需給関係 p64
協力関係から新規事業も誕生 p65
第3節・特需ブーム p66
日本の政治と経済に大きな影響 p66
「糸へん」「金へん」 p67
経営基盤の確立 p67
第4節・通産省工業化試験補助金 p68
第1回の補助金交付に応募 p68
大企業に伍して見事獲得 p69
第5節・丸亀本社工場 p70
「工場設置願」の提出 p70
二硫化炭素発生炉と築炉の位置 p71
本社事務所の建設 p72
城北小学校の校舎を再利用 p73
丸亀工場新事務所 p74
煙突の履歴 p74
第6節・硫黄の手当て p75
“黄色いダイヤ”争奪戦 p75
実績不足に泣く p76
車票すり替え事件 p76
必要に迫られた硫黄精錬法 p77
通産省が「国産技術の決定版」と推奨 p78
硫黄ラッシュのピークを越える p78
石油回収硫黄への転換 p79
鉱山硫黄時代の終焉 p80
第7節・炭素源の手当て p81
黒炭から半白炭へ p81
全国に供給源を拡大 p82
豪州チャーを開発輸入 p82
二硫化炭素の生産減で製炭業も打撃 p83
新規炭素供給源を模索 p83
インドネシアで製炭技術を指導 p84
第3章 試練を乗り越えて p86
第1節・瀬戸内海経済圏 p86
地理的条件 p86
内航水運として発展した瀬戸内海 p87
繊維産業を発展させた立地条件 p88
第2節・二硫化炭素のトップメーカーに p88
化繊業界の活況を反映して飛躍 p88
数々の生産隘路を克服 p89
日本屈指のメーカーに p90
第3節・わが国の化繊生産量 p91
戦前もスフ大国 p91
戦災で原産 p91
再び世界のトップへ p92
ファッション時代始まる p92
第4節・化繊工場が二硫化炭素回収装置を導入 p93
好況に忍び寄る影 p93
回収装置導入で二硫化炭素使用量激減 p94
販路拡張で危機を克服 p95
第5節・無水芒硝の企業化 p96
東邦レーヨンから企業化の打診 p96
日本初の真空蒸発法を開発 p97
洗剤用ビルダーとして脚光 p98
東邦レ・花王石鹸・当社の3社間契約でスタート p98
輸送の利便性 p99
徳島工場建設へ p101
第4章 多角化と組織化 p102
第1節・無水芒硝のトップメーカーへ p102
固結防止対策 p102
4年目に早くもトップへ p102
醤油の仕込み樽が溶解槽 p104
急速な設備改善 p104
認められた高度の技術 p105
生産性の向上 p106
第2節・三首の神器 p107
消費ブームの幕開け p107
電気洗濯機の普及と洗剤革命 p107
第3節・芒硝需給の浮き沈み p108
無水芒硝の需給バランス p108
「四国化成芒硝会」発足 p110
レーヨンメーカーの無水芒硝企業化の動き p110
第4節・原料芒硝の確保 p111
副生品を原料とする宿命 p111
原料芒硝供給源を拡大 p112
干天の慈雨となった四阪島の含水芒硝 p112
第5節・CMCの企業化 p113
新製法により業界参入 p113
洗剤用B粉で上位メーカーに p114
石油掘削用途の輸出 p115
第6節・洗剤のコンパクト化 p116
合成洗剤業界とともに成長 p116
環境問題と洗剤のソフト化、無りん化 p117
コンパクト洗剤の登場 p117
必死の生産体制合理化 p118
現地液体化で染色業界に新風 p118
第7節・本社機構と東京・大阪事務所 p120
業務分担と組織化の始まり p120
カバンの移動事務所からスタートした東京事務所 p121
馬居商店ビルからスタートした大阪事務所 p122
社内報「はあもにい」の創刊 p123
第8節・労使の関係 p124
3つの労働組合が誕生 p124
大合同して全繊同盟参加に p125
第9節・株式市場第2部に上場 p126
株式公開で開放経営を目指す p126
順調な滑り出しを示した東京市場公開 p127
逆風の中の大阪市場公開 p128
第10節・物流時代の幕開け p129
官民一体となっての物流合理化 p129
二硫化炭素は物流の優等生 p129
フレキシブル・コンテナーで包装革命 p130
国鉄合理化に翻弄された宇島基地 p131
建材物流の拠点網 p133
第11節・丸亀本社事務所と研究室の建設 p133
研究室移転からの発想 p133
時代とともに変化した配置 p134
第5章 海外への事業展開 p136
第1節・徳島第2工場を建設 p136
独自の合成法で硫曹事業に参入 p136
新工場建設 p136
生産体制の整備 p138
13年間の硫曹事業 p139
第2節・塩素化シアヌル酸の企業化 p139
アメリカからのサンプル p139
家庭用漂白剤としてアメリカで商品化 p140
独自技術の開発で大河内賞を受賞 p140
“白さ”の感覚に相違 p142
羊毛防縮加工剤に新用途 p142
第3節・初めての対米輸出 p143
プール市場の将来性 p143
リパッカーとの連携 p144
輸出と円高 p144
ダンピング裁定撤回へ p145
安全性データの作成と販売戦略 p146
海外営業体制を整備 p147
第4節・塩素化シアヌル酸の用途開発 p149
国内市場の開拓 p149
初めての消費者向け販売 p149
「ネオクロール」のシステム商品化 p151
浄化槽放流水の分野へ p153
新幹線トイレの殺菌剤開発 p154
第5節・アメリカからヨーロッパへ p155
アメリカ市場以外にも輸出を拡大 p155
ヨーロッパ市場の開拓 p155
英国人コンサルタントの採用 p156
海外生産拠点の模索 p156
第6節・シアヌル酸誘導品の開発 p158
「塩素化シアヌル酸」の展開 p158
新誘導品の研究 p159
誘導品「セイク」の拡販 p159
ISO9002認証登録を取得 p160
第6章 二硫化炭素事業の変遷 p162
第1節・FMC法の国内特許の成立 p162
外国技術による新規参入 p162
日本硫炭協会を中心に反対運動 p162
争点は原料硫黄の価格問題 p163
通産省による調停 p163
第2節・東洋化成工業への技術供与 p165
レトルト法からの転換に助力 p165
SK式電気炉の産出量に驚く p165
第3節・日本硫炭工業の設立 p166
FMC法は共同企業化へ p166
本家の三菱油化は撤退 p168
第4節・不溶性硫黄の企業化 p169
市場未成熟で研究を中断 p169
ラジアルタイヤの普及と再度の参入 p169
品質改善に苦闘 p170
第7章 工場管理 p172
第1節・安全と防災 p172
安全対策の推進 p172
全員参加の安全衛生防災活動 p172
無事故・無災害連続記録を次々更新 p173
第2節・環境対策 p174
強化された公害規制 p174
積極的な環境改善対策 p175
ケミカルタンカー転覆事件 p176
第3節・省資源・省エネルギーの推進 p177
石油危機の影響 p177
工程改善への取り組み p178
第2部 快適な生活環境を創る 〔189〕
第8章 建材進出 p191
第1節・内装壁材に着目 p191
CMCの新用途として壁材に着目 p191
CMCと繊維壁業界 p191
本物指向の芽生え p192
反対もあった「ジュラックス」の企業化 p193
徳島第2工場内に建材工場を建設 p193
品質と施工性に高い評価 p194
建材事業部の発足 p195
第2節・左官教室 p195
内容の濃い商品説明会 p195
左官業界の啓蒙活動で販売促進 p196
第3節・代理店網の構築 p197
全国行脚で問屋を説得 p197
全国組織に拡大 p198
第4節・アコーディオン門扉 p199
マイカー時代を迎えて p199
省スペース門扉の開発 p200
Gマークを獲得して評価を確立 p200
明治神宮絵画館前の大型アコーディオン門扉 p201
続発したアコーディオン門扉特許権係争 p202
第5節・第1次オイルショック p203
総合壁材メーカーとしての品揃え p203
オイルショックでモノ不足 p204
メーカーの使命とパニック p205
第6節・住宅の質の向上 p206
ウサギ小屋からの脱皮 p206
高級化する壁材需要 p206
エクステリア時代の幕開け p207
第7節・壁材の少量多品種生産 p208
壁材業界トップの座を獲得 p208
内装壁材の新商品開発 p209
外装壁材から舗装材分野にも進出 p209
第8節・日本建装の設立 p211
多度津町にエクステリア工場建設 p211
詫間町に第2の工場建設 p212
第9節・株式市場第1部に上場 p213
一流企業の仲間入り p213
株主優遇制度 p214
資金調達の多様化を推進 p215
第9章 総合エクステリアメーカーへ p216
第1節・全国販売網の完成 p216
壁材販売ルートから出発 p216
混戦のなかで代理店の組織化 p217
「全国シコク会」を結成 p217
第2節・スチールからアルミへ p218
スチールの泣き所 p218
アルミ化時代の幕開け p219
スチール時代の終焉 p219
ゼロ発想で商品群を開発 p220
第3節・トータルエクステリアへ p221
当初からの課題 p221
急ピッチの品揃え p221
第4節・店舗用アルミシャッターの開発 p224
ディスプレー機能を持たせたシャッター p224
TENPOSシリーズで連続受賞 p225
建材の有力事業に成長 p226
第5節・建材進出20周年 p226
化成品に匹敵する事業に成長 p226
第2世代の建材事業 p227
品揃えと合理化 p227
第6節・住宅エクステリアから景観エクステリアへ p228
大型アコーディオン門扉が先駆商品 p228
フードが独り歩きしたQポート p229
エクステリア事業の牽引力 p230
第7節・嵐山工場の建設 p231
建材部門の関東地区総合生産拠点 p231
関東工場始動 p232
景観エクステリアの主力工場 p232
第8節・営業拠点の拡充 p233
各地に営業所を開設 p233
全国展開の基礎固め p233
第10章 新しい化学と生活文化 p235
第1節・ファインケミカル事業の芽生え p235
イミダゾールでファイン化に先鞭 p235
東邦レーヨンから事業継承 p235
子会社「四国ファインケミカルズ」 p236
化学品事業の柱に成長 p237
第2節・電子材料分野へ p238
プリント基板関連製品に進出 p238
エレクトロニクス産業の時代へ p239
第3節・東京開発センターの開設 p240
市場ニーズに密着した研究開発へ p240
イミダゾール応用製品を次々に開発 p241
第4節・ウィスカで新素材分野へ p242
強化素材の優等生 p242
画期的な製法を共同開発 p243
3大材料の強化材のすべてをカバー p243
第5節・ハイポルカで水処理分野へ p244
共同研究で微生物分野へ進出 p244
生活廃水処理から産業廃水処理へ p245
第6節・東京本社の設置 p246
幕張新都心に新拠点を開設 p246
丸亀・東京の2本社制を導入 p246
守成の人、西川謙次逝く p247
第7節・研究センターの建設 p248
研究開発の中核的拠点として開発 p248
塩田跡地の取得 p248
充実した設備と自由な雰囲気 p249
創業の原動力、多津白年逝く p250
第8節・創業と守成の心 p251
経営トップを囲む懇談会 p251
創業者と守成の人 p251
社是「創意」を考える p251
ヒューマン・ルネサンスのこと p252
守成の戒め p253
私の経営姿勢 p254
第11章 技術のシコク p255
第1節・ソ連への技術輸出 p255
海外視察団の来訪 p255
ソ連向けプラント輸出成約 p255
ソ連技術者を技術指導 p256
地震に便乗して設備更新 p257
第2節・評価された技術 p257
多津白年が紫綬褒章を受章 p257
評価を高めた3つの賞(大河内記念技術賞・化学技術賞・芦原科学大賞) p258
第3節・特許と製品 p260
知的資産の保存 p260
主要製品と工業所有権(二硫化炭素・中性無水芒硝・CMC・シアヌル酸・イミダゾール・ウィスカ・壁材・エクステリア) p260
第4節・創意工夫の芽 p265
研究重視の風土培養に腐心 p265
社内研究発表会と研究環境づくり p265
第12章 情報処理システムの構築 p267
第1節・導入委員会の設置 p267
コンピューター時代の夜明け p267
委員会の設置 p267
第2節・ホストコンピューターの変遷 p268
待望のコンピューター設置 p268
進む事務の機械化 p269
分散処理へ p270
第3節・データ入力の移り変わり p271
テレタイプでのデータ作成 p271
FAXの導入 p272
OCRの導入 p272
第4節・オンラインシステムの構築 p273
情報の共有化に向けて p273
建材物流対策チーム発足 p273
全国オンラインシステムの開発と運用 p273
本社事務のオンライン化 p274
パソコンネットワークの構築 p274
第5節・情報処理会社の設立 p275
12番目の子会社 p275
CD‐ROMの制作 p275
システム工房東京の設立 p276
第13章 新創業に向けて p277
第1節・事業所の再配置 p277
2本社制機能の検討 p277
先送りとなった新本社ビル構想 p277
営業拠点の移転と拡充 p278
再び丸亀本社ビル新築計画 p279
第2節・グループ戦略の消長 p281
本業を支える事業の展開 p281
観光事業(観光地としての足の便、本格的なリゾートホテル) p282
流通事業 p284
情報システム事業 p284
物流事業 p285
第3節・CIへの取り組み p286
社是の生い立ち p286
建材のブランド制定と最初のCI p286
戦略としてのCIの検討 p287
CI委員会・CI推進チームの発足 p288
CI運動の具体的展開 p289
第4節・新たな旅立ち p290
新創業宣言 p290
創立45周年フェスティバルとCIの展開 p291
SHIP21と「元気宣言」 p292
新社是は「独創力」に p292
終章 新しい企業文化を目指して p294
逆風の中で藤沢体制スタート p294
環境美化事業と生活空間事業 p294
アジア諸国の一員として p296
建材事務所の変遷 p297
代理店一覧 p298
二硫化炭素発生炉運転経歴 p300
資料 p317
新社是 p318
定款(原始定款) p319
定款(現行定款) p321
損益の推移 p324
売上高の推移 p325
資産・負債・資本の推移 p326
資本金および株主数の推移 p327
大株主の変遷 p328
株価および出来高の推移 p329
従業員数の推移 p330
国内事業所 p331
工場別製造工程図 p332
関係会社 p334
組織図 p336
工業所有権の現況 p338
役員在任一覧表 p339
役員在任一覧 p341
年表 p347
二硫化炭素(CS2) p28
高松宮さまをお迎えして p63
鎮西麻吉さんのこと p148
社章について p289
口絵
歴代会長・社長 p301
現役員 p302
索引 p388
参考文献 p396
編集後記 p398
題字・赤沢淳
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