(株)報知新聞社『世紀を超えて : 報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』(1993.06)

"ファイティング原田"が書かれている資料編項目はハイライトされています。

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催し;世相 カメラ アイ 昭和40~49年 昭和41年5月31日~昭和49年10月14日 写真、《昭和42年》王選手“世界のフラミンゴ打法”。子供がぶらさがってもビクともしない一本足、《昭和43年10月15日》メキシコ・オリンピックで重量挙げフェザー級に三宅義信(兄=左)が金、義行(弟)が銅と兄弟でメダル獲得、《昭和41年5月31日》ファイティング原田の右アッパーが、ジョフレのあごに決まる、《昭和48年3月4日》第10回報知杯弥生賞で、増沢騎手騎乗のハイセイコーが優勝、《昭和44年10月30日》日本シリーズの巨人―阪急第4戦。4回裏無死一、三塁、打者長嶋三振のとき、巨人が盗塁。三振走者土井は捕手岡村にブロックされてアウトのように見えたが、岡田球審はセーフと判定。岡村は岡田主審の胸を強くついて退場を命じられたが、この写真で判定の正しさが証明された。《昭和49年10月14日》“ミスター・ジャイアンツ”栄光の背番号3、長嶋茂雄は「巨人軍は永久に不滅です......」と暮れなずむ後楽園球場で現役最後の別れを告げた、それた送球をジャンピングキャッチする長嶋、打席では空振りも絵になった 巻頭
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