松下電器産業(株)『松下電器変革の三十年 : 1978-2007』(2008.05)

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役員 創業者 松下幸之助 写真 〔1-〕巻頭
沿革 1977スクリーン記号キーボード▽1986「家電の松下」から総合エレクトロニクス・メーカーへ 1977~1986 写真、年表、就任の挨拶をする山下社長(77年2月)、岡山工場のVTR一貫生産ライン、世界初最長6時間録画のVHS方式ビデオ「マックロードL60」(79年8月)、創業命知第50年を迎え創業記念式を開催(81年5月)、反省と飛躍を考える松下電器経営会議での松下幸之助創業者(81年9月)、創業60周年を記念して、東京で開催された「'78松下電器技術展」(78年9月)、ポートピア'81に松下館を出展(81年3月)、半導体研究センターの新研究棟が竣工(85年10月) 〔1-〕巻頭
沿革 1986▽1993 高付加価値経営による成長性の追求 1986~1993 写真、年表、谷井社長就任記者会見(86年1月)、松下相談役が中国を訪問し、鄧副首相ら政府要人と懇談(79年6月)、中国に初の合弁会社、北京・松下彩色顕像管(BMCC)を設立(87年9月)、創業70周年記念「松下電器技術総合展」(89年3月)、「ヒューマン21」構想づくりのため「ヒューマン200人会」を発足(89年9月)、松下電器と松下電器貿易のっ合併記念式典(88年4月)、国際花と緑の博覧会に松下館を出展(90年4月)、松下幸之助相談役の合同葬(89年5月)、夢のアイディアコンテスト(夢コン)全社大会(89年4月)、「画期的新製品づくり」プロジェクトから生まれたビデオムービー「ブレントビー」とBSチューナー内蔵型テレビ「画王」(90年) 〔1-〕巻頭
役員 松下幸之助創業者の逝去 1989年4月 写真、ありし日の松下幸之助創業者。京都・真々庵の庭で(78歳)、第1等旭日桐花大綬章を受章(87年4月)、第1回創業記念式典を挙行し、真の使命を明示した(32年5月)、事業部制による自主責任経営体制を実施(33年5月)、フィリップス社との技術提携に調印(52年12月)、販売会社、代理店社長との議論が交わされた熱海会談(64年7月)、会長を退任し相談役に就任(73年7月) 〔1-〕巻頭
沿革 2000▽2006 破壊と創造 2000~2006 写真、年表、「創生21計画」の概要を発表する中村社長(2000年11月)、事業ビジョン「地球環境の共存」をめざし「さくら広場」を開園(2006年4月、幕張)、ななめドラム洗濯乾燥機「Lav(NA-V80)」、デジタルカメラ「LUMIX(DMC-LC5)」、東京で行われた「VIERA」新製品発表会(2005年4月)、METEC操業開始(2001年4月)、未来の夢を体験できるパナソニックセンター東京、くらしの夢を提案するナショナルセンター東京、松下プラズマディスプレイ第3工場(兵庫県尼崎市・2005年9月稼働)、同[松下プラズマディスプレイ]第4工場(2007年6月稼働)、FF式石油温風機の事故で謹告、駅や街頭でチラシを配布したほか、400台の電話を設置し問い合わせに対応、「松下幸之助創業の地」記念碑の除幕式(2004年11月、大開町) 〔1-〕巻頭
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