住友重機械工業(株)横須賀造船所『浦賀・追浜百年の航跡 : 1897-1997』(1997.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月4日 釜石鉱山田中製作所・貨物船第5長久丸進水(110番船・2,225GT)初の本格的貨物船・長久丸型シリーズ第1船、以後同型船6隻建造 創業100年の航跡
7月4日 本船進水に際し、社章・従業員章を制定し初めて記念絵葉書を作成 創業100年の航跡
7月28日 第一次世界大戦勃発 業界及び一般情勢
8月15日 パナマ運河開通 業界及び一般情勢
8月23日 対独宣戦布告 業界及び一般情勢
11月7日 ドイツ軍拠点青島占領 業界及び一般情勢
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
2月28日 海軍省・駆逐艦桐進水(#122・665排水T・樺型) 創業100年の航跡
12月21日 二十七銀行の債権残額225,000円を第一銀行に借款 創業100年の航跡
- この年*軍需急増で鉄鋼・造船業の景気好転 業界及び一般情勢
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月17日 古河合名会社・貨物船天王丸竣工(124番船・長久丸型第2船)・船体鋲打工事に我国初のニューマチックハンマー採用 創業100年の航跡
4月1日 英国鉄材輸出禁止 業界及び一般情勢
6月 工場敷地の買収・工場拡張工事着手(翌年中に工事完了) 創業100年の航跡
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
4月30日 岸本汽船・貨物船神盛丸竣工(134番船・4,733GT)神盛丸型シリーズ第1船・以後同型船19隻建造 創業100年の航跡
5月1日 山下汽船(株)創立(合名会社を株式組織にする) 業界及び一般情勢
7月25日 造船奨励法交付停止 業界及び一般情勢
8月2日 米国鉄材輸出禁止 業界及び一般情勢
8月17日 臨時総会開催。資本金500万円に増資決定 創業100年の航跡
8月17日 営業目的の中に遭難船舶の救助・海上運送業務追加 創業100年の航跡
8月17日 山下亀三郎取締役就任 創業100年の航跡
8月28日 本社を東京市麹町区有楽町に移転 創業100年の航跡
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