※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月10日 | 京都御所で、大正天皇即位礼(ご大典)。 | 社会・風俗 | |
12月4日 | 東京株式市場大暴騰(大戦景気の始まり)。 | 社会・風俗 | |
- | (この年)革靴の輸出額は最高記録859万円となったが、このうちロシア向けが848万円を占めた。 | 靴の周辺 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | 日本製靴、増資して資本金を60万円(増資前は30万円)。1株額面50円とした。 | 靴の周辺 | |
3月 | 大倉喜八郎、粛親王(元・清朝)に軍資金100万円を融資。 | 社会・風俗 | |
9月1日 | 工場法、いよいよ施行。 | 社会・風俗 | |
12月13日 | ドイツの講和提議の報に株式相場大暴落して、東京・大阪の株式取引所は立会いを停止。 | 社会・風俗 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月14日 | 『主婦之友』創刊(社長は石川武美)。 | 社会・風俗 | |
5月 | 日本製靴、「化学工業博覧会」において「名誉賞牌」を受ける。 | 靴の周辺 | |
5月 | ロシア向け輸出靴に粗製濫造品が続出した件に対処するため、農商務省、新たに検査規定を制定。 | 靴の周辺 | |
8月15日 | 大倉喜八郎、「大倉集古館」を開館。 | 社会・風俗 | |
11月7日 | ロシアに十月革命によりソビエト政権を樹立。 | 社会・風俗 | |
- | (この年)靴業界に「輸出靴同志会」を設け、自粛検査を行う。 | 靴の周辺 | |
- | (この年)東京製靴がグッドイヤー式製靴機械を輸入。 | 靴の周辺 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月2日 | 日本政府、シベリヤ出兵を宣言。 | 社会・風俗 | |
8月3日 | 富山県に米騒動、全国に次々と波及。 | 社会・風俗 | |
11月11日 | ドイツ、連合国との休戦協定に調印し、第一次世界大戦終わる。 | 社会・風俗 | |
- | (この年)抱え鞄の流行が始まり、製鞄業、活気を呈す。 | 靴の周辺 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 東京市街自動車(愛称青バス)営業を開始。 | 社会・風俗 | |
3月1日 | 朝鮮の都市で、「万歳事件」起きる。 | 社会・風俗 |