日本電信電話公社関東電気通信局『関東電信電話百年史. 下』(1968.03)

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目次項目 ページ
例言 巻頭
総目次 p23
I 茨城 p23
口絵 p23
あらまし p51
1 電信、水戸からはじまる(明治12~21年) p52
1 そのころの水戸と周辺 p52
文明開化の水戸かいわい p52
電信線、水戸にきたる p53
2 水戸電信分局誕生 p54
うぶごえは南町 p54
安くなかった電信賃銭 p55
2 10年の空白をへて電信大いに伸びる(明治22~45年) p57
1 電信開始あいつぐ p57
水運の基地・土浦 p57
8年間に18局開始 p58
地蔵河岸―大船津間に水底電線 p59
請願開始の玉造 p60
軍隊の転営で開始した水戸兵営前 p61
地方管理機関の誕生と建築官の配置 p62
2 鉄道開通で電信取扱所が躍進 p63
県下トップの下館・結城取扱所 p63
一躍ふえる停車場取扱所 p64
3 話題をひろう p66
偕楽園で盛大な通信展覧会 p66
湖上の電報配達で一苦労 p67
窓口の奇問・賢問 p67
3 電話のはじまり(明治31~45年) p69
1 先駆は保安用電話と日立の私設電話 p69
早かった警察と水防電話 p69
官設にさきがける日立鉱山 p69
2 特別大演習がもたらした交換開始 p71
早められた特設電話の関連局 p71
市外線架設の電線献納 p72
大本営の結城 p72
大観兵式の下館 p74
3 水戸の交換開始 p75
普通電話で開始 p75
買って出た架設運動の協力者 p76
盛大な開通祝賀式 p77
4 電話ひろまる(明治41~45年) p78
1 通話開始つづく p78
漁港の湊・磯浜・平磯 p78
市場で繁盛の太田と苗木の菅谷 p79
2 土浦の交換開始 p80
水運の商港・土浦 p80
有力者と電話番号 p81
3 電話大いに伸びる p82
42年は交換開始9局 p82
創設当初のこぼればなし p83
大量23局通話開始 p83
5 電報激増、電話も躍進(大正元~15年) p85
1 第1次世界大戦の好況と電信 p85
好況で電報利用激増 p85
電信オペレーターの不足になやむ p86
電信マン気質 p87
2 交換開始、全県下におよぶ p88
大正の交換開始は28局 p88
交換手の気質 p88
3 汽車の飛火から水戸大火 p90
局舎焼失、被害甚大 p90
火事どろ、東京から遠征 p91
4 関東大震災おこる p92
対東京通信とだえる p92
復興へ救援隊派遣 p93
6 不況と災害のなかに(昭和2~19年) p94
1 大恐慌におそわれる p94
名義変更・権利売買が続出 p94
加入申込みの勧誘に一苦労 p95
2 火災、雪害、水害 p96
石岡の大火災 p96
三浜地域の大雪害 p98
土浦の大水害 p99
3 ツェッペリン号と無線連絡 p101
「ツェ」伯号霞ヶ浦へ p101
対航空通信に輝く金字塔 p102
繁忙をきわめた阿見局・土浦局 p104
4 施設の整備改善すすむ p105
共電改式の土浦 p105
全国初の小型共電式交換の赤塚 p106
保守担当区域と施設機構 p106
7 太平洋戦争下にあって(昭和16~20年) p108
1 電話の強制回収と公衆電話所の廃止 p108
電話の供出、強制回収 p108
公衆電話所消える p109
2 水戸に代位局おかる p110
電話代位局の勧業銀行 p110
電信代位局の茨城会館 p111
3 被爆の惨状を現地に見る p112
大半が焦土と化した水戸 p112
爆撃・艦砲射撃・焼夷弾攻撃をうけた日立 p113
水戸被爆当夜の職員の活動 p114
8 戦後復旧に苦闘つづく(昭和20~25年) p115
1 再建の一歩をふみだす p115
代位局から仮局舎へ p115
水戸の復旧工事 p116
日立の復旧 p116
2 復旧工事のなやみ p117
資材不足、食糧不足 p117
復旧要員の苦労 p118
9 電気通信部創設(昭和24~29年) p119
1 そのころの直営局と委託局 p119
茨城電気通信部設置 p119
4管理所も発足 p121
直営局8局誕生 p123
全国有数の大量委託局 p124
施設区と委託局駐在 p124
2 水戸の電話、自動式となる p125
旧式電話に非難の声 p125
喜びにわく水戸 p126
新局舎への道は遠かった p127
3 公社発足と現場の表情 p128
すっきりしたか、しないか、局長制 p128
前垂れがけというけれど p128
間借り直営局はまだつづく p129
防火に活躍し表彰に輝く p130
10 電波の銀座通り筑波山(昭和27~33年) p132
1 ケーブルカーの復旧に一役買った中継所工事 p132
中継所開局と現地の苦労 p132
地元の希望に公社が協力 p133
2 電波でラッシュの山頂 p134
東仙札ルートの第1関門 p134
アンテナ立ちならぶ p135
3 山上勤務よもやまばなし p136
水飢饉さわぎ p136
家族ぐるみの団結心 p137
タヌキやイノシシの捕物帳 p138
11 全国トップの水戸電報中継機械化(昭和28年) p140
1 全社の期待と注視をあつめて p140
苦闘連続の工事から開通まで p140
まずまずの運用成績 p141
後続局へ大きな示唆 p143
2 要員訓練に大わらわ p144
苦難の運用訓練をへて p144
苦心の保守訓練 p146
3 現場の声あれこれ p147
通数不符合にふりまわされる p147
つきまとう機械障害 p148
4 苦闘のあとに p150
簡素盛大な披露式 p150
米国が「世界一」の折紙 p151
12 サービスすすむ(昭和30年~) p152
1 即時化は水戸を皮切りに p152
はしりは水戸―東京間手動即時 p152
盛大な記念式典 p153
わきたつ水戸 p153
那珂湊―大洗―水戸間は市外集中で即時化 p154
水戸―東京間自動即時に切替え p155
2 通信高速化の水戸 p156
50ボー改造のあらまし p156
運用の再訓練 p157
苦心談あれこれ p159
3 ホープの加入電信 p160
水戸電報局の加入電信 p160
土浦へも加入電信 p161
4 すすむ市町村合併に即応 p162
交換合併第1号の河間局 p162
交換局の統合101局 p162
統合対策のなかに p163
13 農山漁村にも電話伸びる(昭和31年~) p165
1 大きくひろがる有線放送 p165
全国第4位県としてのなやみ p165
公社線との接続 p166
2 飛躍する農村公衆電話 p167
県下第1号は石崎村の病院 p167
建柱245本の仙境・小川部落 p168
関東のトップで伸びる p169
3 地域団体加入電話も普及 p170
北関東最初の常陸太田市東部と岩瀬町 p170
理想的設備の玉造町上山 p172
全国最大の小川町 p173
4 農村集団自動電話登場 p174
麻生町大和に全国第1号 p174
全国最大の関城 p175
地団から農集に変わった阿見 p177
関東のトップをゆく p178
まだ残る陽《ひ》のあたらない場所 p179
14 原子力と東海局(昭和35年) p180
1 原子力村として脚光あびる p180
原子力センターで一躍有名 p180
通信研究支所設置で公社も即応 p181
2 東海局の直営化 p182
早められた自動改式 p182
1通1,600円の電報配達料 p183
改式当時の苦心談あれこれ p184
15 自動改式ようやく各地へ(昭和33年~) p186
1 日立工業都市 p186
大工業都市の日立 p186
日立のなかの多賀 p188
日立港で活況の久慈浜 p190
ドル箱の日立 p191
2 中小産業地域 p192
工業都市化の石岡 p192
足袋から製菓への下館 p193
つむぎの結城 p194
磯の名所の大洗 p195
漁港都市の那珂湊 p197
穀倉と商工業の竜ヶ崎 p198
3 新産業都市と観光の水郷地帯 p200
臨海工業地帯の鹿島 p200
観光の中心地・潮来 p201
4 全国即時網に仲間入り p202
手動即時で水戸・土浦・下館 p202
全国県庁所在地間即時サービス p203
自動即時に切替えの土浦・下館 p204
集中局4局編入で大量仲間入り p205
付録 p209
局所の沿革 p209
委託局サービス開始一覧 p221
主要参考文献 p227
資料提供者 p228
II 栃木 p229
口絵 p229
あらまし p279
1 明治7年2月宇都宮電信局誕生(明治7~19年) p280
1 そのころの栃木県 p280
宇都宮県を栃木県に併合 p280
機業地繁栄、農村は貧窮 p281
人口50万を突破 p283
ギヤマン店や写真屋が開業 p283
2 東京とトンツー開始 p285
電信線、鉄道に先行 p285
初の日本人工事監督長 p287
釈迦堂町の仮局舎で開通 p288
電報料は米1升4合分 p289
3 つづいて栃木・足利・日光で p291
栃木町の発展に拍車 p291
足利には不景気風に乗って p292
季節局第1号の日光 p294
2 鉄道とともに伸びた電信(明治20~34年) p296
1 東北本線建設の経緯 p296
最初の私設鉄道 p296
東京―宇都宮間に2案 p297
定説くつがえす栃木の誘致運動 p297
18年7月宇都宮まで開通 p299
2 鉄道沿線の電信開始局 p300
東北本線沿線―古河・氏家・小山・矢板 p300
両毛・佐野鉄道沿線―佐野・田沼 p301
日光鉄道沿線―鹿沼・今市 p302
停車場公衆電信取扱所 p303
3 鉄道沿線外の電信開始局 p306
那須野原の開拓と道路の整備 p306
大田原・塩原・真岡など p308
3 宇都宮、県の中心に(明治17~34年) p310
1 県庁移転の攻防戦 p310
宇都宮の主張と運動 p310
抵抗する栃木側 p312
官庁・学校なども宇都宮へ p313
2 初の市制施行と師団の設置 p315
人口、全国20位に p315
まず連隊区を設置 p316
3 宇都宮郵電局、3県を管理 p317
現業にして管理機関 p317
管理の実際 p318
電信線、宇都宮に集中 p321
4 待望の電話がつく(明治35~39年) p322
1 先べんは足尾の銅山電話 p322
銅山でもつ足尾 p322
わが国民間電話第1号 p323
2 日光で交換第一声 p326
まず3電話所で通話開始 p326
「1番」は金谷ホテル p327
中宮祠・足尾がつづく p329
3 宇都宮は普通電話で p330
多かった架設希望者 p330
2年余で3倍の加入数 p331
5 電話網、全県にひろがる(明治40~45年) p334
1 機業地を走る電話線 p334
特設加入全国最多の足利 p334
佐野では電話記念館を建てる p336
2 促進剤となった陸軍大演習 p338
電信電話回線を大幅に増変更 p338
自転車配達や自働電話も出現 p339
大奮闘の交換手・電信オペ p340
利用の大半は東京向け p341
急場に備えた小山・古河・栃木の交換開始 p343
黒磯・烏山・氏家でも交換開始 p344
3 主要地にゆきわたる p347
明治の元勲が大口寄付 p347
鹿沼・今市・真岡局など p349
足尾銅山暴動で電信電話大混乱 p351
6 停滞ぎみの大正時代(大正元~15年) p356
1 大正時代の栃木県 p356
大戦景気とその反動 p356
めざましい鉄道の発達 p358
2 伸びなやむ電信電話 p359
6年間も交換開始局なし p359
宇都宮・足利が直複に p361
3 深刻でのんびりの現場 p362
交換室からバイオリンの音色 p362
事業PRに局内公開 p362
考案・災害で大臣表彰 p363
4 関東大震災に活躍 p364
東京との連絡は2日夜 p364
電報整理に1か月 p365
東京へ応援隊派遣 p365
7 宇都宮の電話が自動改式(昭和2~11年) p368
1 恐慌で明けた昭和 p368
大痛手の織物業 p368
足利版「女工哀史」 p370
農村では身売り横行 p372
2 電信電話も大打撃 p373
電報激減、電話料滞納も続出 p373
だが、サービス開始局は順調に増加 p374
このころの話題から p375
3 県下初の宇都宮局の自動化 p377
新しい酒を新しい皮袋に p377
見よう見まねの改式工事 p379
雨の夜の切替え p379
改式後、加入者事故ひんぱつ p380
4 新技術と小山送信所 p381
重信装荷ケーブルが完成 p381
対外無線に威力発揮の小山送信所 p381
8 戦争の試練に耐えて(昭和12~20年) p384
1 強化される軍事色 p384
電話統制はじまる p384
人手不足で電報も定時配達 p385
赤見の電話を無人小自動化 p387
技術官駐在所から工事局まで p387
2 現場の決戦体制 p390
電話動員や電信休止 p390
憲兵つきの監査室 p390
八幡山に宇都宮代位局 p392
宇都宮局電信課の疎開と空襲 p393
薄命の宇都宮逓信管理部 p394
戦前最高加入数は17年度の10,317 p396
3 御用邸と電話(1)(戦前の部) p398
御用邸内部はノータッチ p400
皇后陛下が電話口に p401
やかましかった門鑑・服装・消毒 p402
親切だった御用邸職員 p404
9 お役人から公社員に(昭和20~27年) p406
1 混乱と手さぐりの戦後 p406
オールマイティの占領軍 p406
はやかった復旧テンポ p407
2 消化不良の電通省機構 p408
ライン・オーガニゼーション p408
最大の被害者は利用者 p410
公社発足、機構改革ですっきり p412
3 再建へ本格的スタート p413
佐野・栃木が共電改式 p413
直轄化のはしり・今市局 p415
4 災害と職員の活躍 p417
今市地震で交換台死守 p417
キャスリーン・キティ台風 p419
10 近代化をめざして―第1次5か年計画期―(昭和28~32年度) p420
1 すすむ直営化と改式 p420
黒磯に新型小形交換機 p420
地元負担700万円で古河が共電改式 p421
足利は自動へ2段飛び p424
国産クロスバ第1号局三和 p426
2 マイクロが開通 p427
宇都宮―東京間手動即時 p427
宇都宮局の度数制も実現 p429
3 宇都宮の電報中継機械化成る p431
局内非転送方式を併用 p431
配転もスムーズに p432
苦心の電報セールス p434
高い充足率、低い普及率(第1次5か年計画の成果) p435
4 御用邸と電話(2)(戦後の部) p438
両陛下、那須中継所をご見学 p438
那須御用邸の電話をダイヤル式に p438
11 自動化・即時化急ピッチ―第2次5か年計画期―(昭和33~37年度) p440
1 5局が相ついで自動改式 p440
名にしおう鹿沼の老朽局舎 p440
新しい労働条件“真岡方式” p442
局舎建築が中断した今市 p443
鬼怒川と川治を合併・直営化 p444
2 即時網、県外におよぶ p445
東海・近畿などへ手動即時 p445
電話新料金に県議会が反対 p448
3 新サービスもぞくぞく実施 p449
加入電信、時報・気象サービス p449
営業主幹という名の移動相談所 p449
依然として伸びぬ電話需要(第2次5か年計画の成果) p450
12 全国と直結する電話―第3次5か年計画期―(昭和38年度~) p453
1 全直営局の自動化完了 p453
年間4局の改式スピード p453
日光杉並木掘さくでもめる p455
線番センターが成功した佐野局 p458
2 全国自即網の仲間入り p461
まず6局が編入 p461
編入局でにぎやかに記念行事 p464
宇都宮に関東100万番目の電話 p465
3 農山村対策にも力こぶ p466
農公・地団・農集を増設 p466
有放の発達と公社線との接続 p469
4 電話の現状と展望 p470
電話需要はなぜ少ないか p470
はかばかしくない地域開発 p471
キメこまかい対策が必要 p473
付録 p477
局所の沿革 p477
委託局サービス開始一覧 p488
主要参考文献 p492
資料提供者 p493
III 群馬 p494
口絵 p494
あらまし p545
1 電信のはじまり(明治10~18年) p546
1 高崎・前橋で同時に開局 p546
電信架設前の状況 p546
西南戦争の影響 p548
前橋・高崎に電信局 p549
2 生糸が開いた電信分局 p552
天皇巡幸で東京―新潟線竣工 p552
新型モールス機を前橋に設置 p553
桐生・伊勢崎・大間々に電信分局 p554
秩父暴動に電信が活躍 p556
2 電信の発展(明治19~35年) p559
1 管理機関の誕生と郵便電信局 p559
お目付役、前橋1等郵便電信局 p559
ひろがる電信網と建築官の配置 p561
2 街道・鉄道ぞいにのびる電信線 p564
まず高崎まで鉄道開通 p564
つづいて信越線が開通 p566
両毛線も開通 p567
富岡の前に伊香保が季節局で p568
北毛地方の交通と電信開始 p570
西毛地方の交通と電信開始 p571
3 電信アラカルト p573
コレラ流行で電配夫など戦々恐々 p573
前橋で3等局長主催の通信展覧会 p574
新聞電報の利用増大 p575
県内に波及した足尾銅山鉱毒事件 p576
3 電話のはじまり(明治17~41年) p579
1 最初の電話は官用から p579
県庁と県警察本部を中心に p579
群馬県警察電話の本格的創設 p580
高崎・横川などの停車場にも p581
2 交換開始は前橋から p582
前橋・高崎に電話つく p582
高崎の交換開始と伊香保・渋川の通話開始 p583
織物の町桐生・伊勢崎にも電話つく p585
安中にみる特設電話開通の経緯 p588
4 明治の繁栄とともに(明治42~45年) p592
1 県内主要地のほとんどに交換局 p592
百花りょう乱の通話・交換開始 p592
高崎・桐生にも建築技術官駐在 p594
新聞社が現業局慰問の会 p596
2 普及発展する電信電話 p597
前橋・高崎・桐生に自働電話(公衆電話)出現 p597
前橋で1府14県の連合共進会 p598
電報配達に自転車登場 p599
明治43年の大水害 p600
郡予算で架設した吾妻郡 p601
3等郵便局長の功績 p602
5 電信ブームと電話の拡充(大正元~15年) p604
1 大戦景気で利用活発 p604
電信の繁忙 p604
電話も大繁忙 p607
物価高騰で従業員の生活困窮 p609
各地で通信展覧会 p612
群馬県にもスペインかぜ大流行 p614
2 前橋・高崎で直複交換 p616
漸増する加入電話・通話量 p616
ひけない電話に抽せん会 p618
前橋・高崎とも電話分室新築 p620
3 関東大震災に救援隊 p622
気をもむ東京・横浜との連絡 p622
くり出す救援隊 p623
“臨時東京中電”となった高崎郵便局 p627
6 経済恐慌で始まる昭和(昭和2~14年) p630
1 生命線蚕糸業は大打撃 p630
電話加入の勧誘に街頭進出 p630
電報の利用も減る一方 p632
2 満州事変はじまる p634
電信電話も戦争の波に乗って p634
清水トンネル内に市外ケーブル架設 p635
はやくも桐生は自動改式 p638
陸軍特別大演習 p639
昭和10年の大水害 p643
3 日華事変の拡大につれて p645
川内・笠懸・釆女が小自動改式 p645
小串鉱山地すべり事件 p646
市内局でも電信・通話事務開始 p649
前橋も自動改式 p650
7 決戦体制下の電信電話(昭和15~20年) p652
1 戦争奉仕で電話も徴用 p652
生糸から弾薬・飛行機の製造へ p652
“電話も兵器”とぞくぞく回収 p653
桐生の電話、共電へ逆改式 p656
2 空襲による県下の被害 p659
太田の被害 p659
前橋の被害 p660
終戦前夜に伊勢崎・高崎も被爆 p662
8 苦闘する戦後の復旧(昭和20~29年) p664
1 占領軍、ぞくぞくと本県に進駐 p664
米軍ジープ、前橋市内を走る p664
泣かされた東別所特電の建設 p666
2 混乱から復興へ p668
はやかった前橋の復興 p668
泣きっツラにハチ、台風つぎつぎと襲来 p670
警察電話を逓信省に移管 p673
3 新機構発足で復旧すすむ p674
ようやく生気をとりもどした蚕糸業 p674
電信電話も活気づく p676
電気通信部・管理所の発足 p678
ライン・オルガニゼーションの功罪 p680
前橋―高崎・伊勢崎間が準即時に p681
桐生が再び自動改式 p682
公社発足、すっきりした機構に p683
前橋市グランド・フェアーに通信展 p684
9 クロスバと即時通話の開始(昭和30~32年) p686
1 高崎にクロスバ全国第1号 p686
クロスバ改式前の高崎局 p686
クロスバは米ケロッグ式に決定 p688
苦心のすえ、いよいよ改式 p690
観音さまよりクロスバ詣で p692
2 安中・倉賀野もクロスバ改式 p694
小局経営のモデル局として p694
県内で初めて自即を実施 p696
県で反対した電話料金度数制 p697
3 上信越即時ルートの関門・高崎 p699
まず大宮―高崎間に無装荷ケーブル p699
東京―高崎間同軸が完成 p701
両毛ルートにより幹線を結ぶ p702
4 前橋・高崎の手即を皮切りに p703
“汽車よりおそい”汚名返上へ p703
前橋・高崎・桐生から東京へも手動即時 p704
10 すすむ町村合併対策(昭和30~37年) p706
1 自動改式はひと休み p706
共電改式した館林 p706
わずかに太田・沼田・大泉が自動改式 p709
高崎で加入電信サービス開始 p711
電報中継機械化実施と高崎電報電話局の誕生 p712
2 大わらわの交換区域合併 p714
新市町から陳情しきり p714
対東京の自即化と北関東の“0”一本化 p716
3 農山村にも普及する電話 p717
本腰いれる無電話部落対策 p717
祭壇に祭って農村公衆電話開通式 p719
赤城山頂・尾瀬沼にも赤電話 p720
それでものびる有線放送電話 p723
11 建設のツチ音も高く(昭和38年~) p726
1 首都圏開発にせかれる電話 p726
太田・大泉地区 p726
前橋・高崎地区 p728
2 明るくなる農村 p730
有放も公社線接続 p730
農村集団自動電話も p732
しかし、まだある陽の当たらぬ場所 p734
3 上州名物と保守 p736
雷害と闘う p736
氷雪害と闘う p738
12 躍進する群馬(昭和40年~) p740
1 全国自即網に編入 p740
まず7局が編入 p740
改式・即時化急ピッチ p742
2 新技術も採り入れて p745
“女性だけの電報電話局”館林 p745
新しい技術・データ通信が群馬に p747
後進県から先進県へ p748
付録 p755
局所の沿革 p755
委託局サービス開始一覧 p764
主要参考文献 p767
資料提供者 p768
IV 山梨 p769
口絵 p769
あらまし p819
1 電信はじまる(明治12~14年) p820
1 まず甲府で開始 p820
そのころの甲府 p820
八王子と共同で陳情 p821
相場通信に威力発揮 p823
2 電信線、西へ延びる p825
きっかけは天皇ご巡幸 p825
全国初の献納局・猿橋 p826
2 県下主要地に電信開通(明治15~37年) p829
1 5年間に7局 p829
甲府局が1等郵便電信局に p829
甲斐絹の主産地・谷村 p830
水運の基地・鰍沢 p832
上野原・韮崎・勝沼は同日に p834
紙の産地・市川大門、峡東の中心・日下部 p836
2 日清戦後は相ついで開設 p837
活発な地方有力者の動き p837
電信開設の苦しみと喜び p838
3 電信運営の種々相 p840
電報配達に少年を採用 p840
電信の秘密と選挙運動 p841
夜間電報廃止で大騒ぎ p842
3 電話はじまる(明治34~40年) p845
1 待望の電話、甲府につく p845
先駆は官庁電話 p845
猛運動が功を奏す p847
2 翌年、甲府で交換開始 p849
特設電話架設運動おこる p849
突貫工事で交換開始 p851
3 富士山に電話つく p853
女性登山も盛んになる p853
救護用として3か所に p853
4 激動する世相の中で(明治36~45年) p855
1 中央線開通の影響 p855
明治44年5月全線開通 p855
開通で悲喜こもごもの町村 p856
停車場に電信取扱所 p859
2 宿命の水害とたたかう p860
明治40年の大水害 p860
命がけの復旧工事1か月 p861
つづいで43年にも大水害 p862
3 のびる甲府の電話 p863
6年間に5倍の加入数 p863
自働電話(公衆電話)もつく p864
交換開始5周年の時点で p864
4 地方の電話はおくれる p866
蚕糸業・甲斐絹の黄金時代 p866
交換開始わずか4局 p867
甲府に次ぐ谷村の加入数 p868
5 苦労の多い現場の人々 p870
怒鳴られどおしの電話交換手 p870
多感な青年技術者 p872
工具なしの電話工事 p873
5 飛躍期にはいる(大正元~15年) p876
1 電信の利用増大 p876
欧州大戦ぼっ発で電信激増 p876
大繁忙の選挙電報 p878
ついに病人続出の甲府局 p879
2 電話も大繁忙 p880
甲府の交換が直列複式に p880
さばき切れぬ市外通話 p881
しわ寄せは交換手へ p883
対策に大わらわの当局 p885
3 地方の電話もようやく普及 p886
続々と通話・交換開始 p886
英国皇太子来朝の精進 p888
まゆが開く長坂の電話 p889
身延山にも電話つく p890
4 突然おそった関東大震災 p891
電信・電話とも不通となる p891
苦労した復旧工事 p893
6 電信電話網、県下をおおう(昭和2~18年) p894
1 不況に流される電信電話 p894
電報利用数・電話加入申込数が激減 p894
市外通話対地は拡大 p895
2 甲府の電話が自動改式 p896
二転三転した新局舎敷地 p896
8分間で切替え完了 p897
多かった受話器はずしや誤接続 p900
小井川に小自動も誕生 p901
電信にも新技術登場 p902
3 地元や個人負担で電信電話ひろがる p903
電信電話拡張計画のもとに p903
赤字つづきの請願電信開始局 p904
政争に巻きこまれた勝山の電話 p904
町村電話制度で交換開始の南部局 p905
逓信局の希望調査で電話をつけた富河・万沢局 p906
4 陸の孤島にも電話つく p908
車も通わぬ道志7里 p908
西の秘境・西山 p909
苦労した笹子・藤の木峠の保守 p910
5 日満ケーブル、県下を通る p912
新工法も採用の難工事 p912
甲府・大月電話中継所が開設 p913
7 決戦体制から戦後の整備まで(昭和18~27年) p916
1 決戦体制下の電信電話 p916
産業統制で電信減少 p916
電信も電話も軍事一本に p919
拡張という名の撤去工事 p920
女子も学童も総動員 p920
2 甲府大空襲 p921
20年7月6日深夜の大空襲 p921
熱気とけむりの交換室を守る p923
電信電話の被害と復旧状況 p924
吉田・大月も空襲うける p925
3 戦後の苦難 p926
混乱の中の復旧作業 p926
無理を通す進駐軍 p928
水害で東名ケーブル流失 p929
4 相ついで新局誕生 p930
甲府電話局・同電信局が独立 p930
通信部・管理所の発足 p931
韮崎・日下部(山梨)を直轄化 p933
局名でもめた鰍沢青柳局 p934
火事で早くなった吉田の共電改式 p935
8 新しいサービスを実施(昭和28~37年) p938
1 甲府の度数制実施に賛否両論 p938
商工会議所が反対 p938
成果あがった度数制実施 p939
2 手動即時サービス始まる p940
まず甲府―東京間で p940
甲府―東京間にマイクロも完成 p941
3 クロスバ局も誕生 p943
竜王が県下初のXB局に p943
市長の活躍で都留はA形改式 p944
4 農山村対策もすすむ p946
伸びる有線放送 p946
豊茂開拓団に農村公衆第1号 p947
地団の第1号は根場部落 p949
委託局で230の大量開通 p949
町村合併対策はゆき悩む p951
5 発展はばむ風水害 p953
台風13号で西山地区孤立 p953
全県を荒らした7号台風 p955
適切な復旧対策 p957
つづいて15号が追いうち p960
9 開けゆく山梨県(昭和37年~) p962
1 すすむ自動改式 p962
甲府〈3〉局が開局 p962
火事で早くなった塩山 p964
吉田の改式で湖畔の電話も救済 p965
土地問題で難航した石和 p966
小沼は県下初の可搬形 p966
6局を統合、小笠原報話局誕生 p967
小井川・竜王改式、取り残された昭和 p968
明るい見通しの今後の自動化 p969
2 観光とともに歩む電信電話 p972
県全体が観光地 p972
自衛隊工事で富士山に地団 p973
別荘地帯には変形PBXも p975
3 農山村にも陽が当たる p976
有線放送と公社線が接続 p976
地団で全戸に電話つく p977
小淵沢に農集県下第1号 p978
4 全国自動即時網に編入 p979
甲府―東京間マイクロ回線新増設 p979
次々に即時網編入局増加 p980
付録 p985
局所の沿革 p985
委託局サービス開始一覧 p992
主要参考文献 p995
資料提供者 p996
編集を終わって p997
索引リスト
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