(株)日本経済新聞社『日本経済新聞九十年史』(1966.12)

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目次項目 ページ
九十年史の刊行に当たって p1
最近十年史概観 p1
最近十年史 前期(昭和三十一年十二月―昭和三十五年十二月) p13
第一章 神武景気とその調整 p13
一 日本国連に加盟、石橋内閣から岸内閣へ p13
二 三十二年の景気過熱と国際収支の危機 p17
三 引き締め政策に転換、景気は後退へ p20
四 原子の火初めてともる、日本安保理事国へ p24
五 米新中東政策を決定、人工衛星出現 p26
六 欧州共同市場・ユーラトム条約の締結成る p29
七 インドネシアと国交回復、第二十八回衆議院議員総選挙 p32
八 景気ナベ底をはう、本紙公定歩合引き下げを主張 p34
九 日中貿易中断、鉄鋼公販制始まる p38
十 王子製紙の長期スト、狩野川台風で大被害 p40
十一 ソ連首相にフルシチョフ第一書記、仏第五共和国へ p44
十二 世界経済繁栄の共同提案、西欧諸国通貨の交換性を回復 p47
第二章 岩戸景気による高度成長へ p51
一 皇太子殿下ご結婚、第五回参議院議員選挙 p51
二 勤評問題峠を越える、難航した北朝鮮帰還問題 p54
三 標準金利制を採用、岩戸景気にはいる p58
四 最賃制、国民年金など実施、伊勢湾台風荒れ狂う p61
五 東西間に雪どけムード、ソ連月の裏側写真撮影に成功 p65
六 欧州共同市場の活動始まる、欧州自由貿易連合誕生 p68
七 安保騒動で岸内閣退陣、本紙民主政治擁護の共同提言 p70
八 池田内閣登場、第二十九回衆議院議員総選挙 p75
九 浅沼社会党委員長刺殺される、三池で史上最大の争議 p77
十 自由化計画大綱を策定、自由円勘定・円為替を実施 p80
十一 高度成長続く、消費革命で生活水準向上 p84
十二 東西首脳会談流会、ケネディ氏米新大統領に当選 p88
十三 米の金流出激化、ドル防衛始まる p92
第三章 社業発展に積極姿勢 p95
一 通信網の拡大、地方版の充実を進める p95
二 マーケティング活動を拡張、増紙三カ年計画を実施 p97
三 朝刊オール十二ページ建てに、定価を改定、広告企画を活発化 p101
四 大阪で夕刊を発行、夕刊六ページ建てとなる p104
五 一億六千万円へ倍額増資、第四回社債二億円を発行 p106
六 日経・経済図書文化賞を創設、著名外国経済学者の講演会開催 p108
七 美術展の開催活発となる p111
八 東京都商店コンクール、経営セミナーを始める p116
第四章 設備の近代化、諸制度の改革を推進 p119
一 全自動モノタイプ計画を実施 p119
二 記事の送稿に漢テレ方式を導入 p121
三 輪転機を増設更新、発送設備を機械化 p124
四 日経労組二十二時間スト、退職金規定などを改正 p126
五 永年勤続社員表彰制度、住宅融資制度などを設ける p128
六 海外新聞普及会社、日経映画社を設立 p131
七 首脳部人事と動静(三十二年―三十五年) p132
最近十年史 後期(昭和三十六年一月以降) p139
第一章 所得倍増計画発足 p139
一 所得倍増計画動き出す、農業基本法成立 p139
二 行き過ぎた高度成長、景気調整策実施へ p142
三 株価大暴落、証券第二市場発足 p147
四 池田首相米加訪問、海外経済協力基金発足 p151
五 米ソ首脳会談開く、ソ連初の人間衛星船を打ち上げ p153
六 英など十カ国八条国へ、OECD結成される p156
七 第六回参議院議員選挙、池田首相西欧諸国を歴訪 p158
八 景気調整措置を全面的に解除、消費者物価大幅に上昇 p161
九 ガリオア、エロア返済協定成立、石炭対策の新展開 p166
十 LT貿易協定成る、日英通商航海条約に調印 p169
十一 キューバ危機回避される、中印国境で紛争 p172
十二 EEC第二段階へ、米通商拡大法成立 p175
第二章 開放経済体制へ移行 p179
一 池田首相西太平洋四カ国訪問、第三十回衆議院議員総選挙 p179
二 低金利政策を推進、ケネディ・ショックで株価大暴落 p182
三 IMF十四条国から八条国へ、OECD加盟成る p185
四 中小企業基本法成立、三池の大爆発、鶴見事故発生 p190
五 部分核停条約締結に成功、ケネディ米大統領暗殺される p194
六 英のEEC加盟ならず、米金利平衡税を創設 p198
七 低金利政策ストップ、日本共同証券設立される p201
八 海運集約成る、東海道新幹線開通、新潟地震で大被害 p207
九 オリンピック東京大会開かれる、池田内閣から佐藤内閣へ p211
十 フルシチョフ・ソ連首相退陣、中共核爆発実験に成功 p216
十一 国連貿易開発会議の成果、IMF東京総会開かれる p220
第三章 不況長期化に悩む p227
一 山陽特殊鋼など倒産、企業の減益続く p227
二 証券保有組合設立される、山一証券の危機に特別措置 p234
三 金融引き締めを全面解除、日銀買い切りオペ制を採用 p239
四 国債発行に踏み切る、本紙不況対策の強化を主張 p243
五 不況下の物価上昇続く、生活白書・生活に奉仕する経済をうたう p248
六 中共向けプラント輸出暗礁へ、旅客機の大事故続発 p253
七 ILO八十七号条約を批淮、第七回参議院議員選挙 p258
八 日韓国交正常化成る、東南アジア開発閣僚会議開く p263
九 米、北ベトナム爆撃始める、インドネシアでクーデター未遂 p266
十 ドゴール仏大統領の挑戦、ソ米宇宙遊泳、月面軟着陸に成功 p270
十一 ドル・ポンド安定に諸対策、ソ連で利潤概念を導入 p274
第四章 社業飛躍的に伸長 p281
一 大阪支社を本社に昇格、新増紙三カ年計画を遂行 p281
二 朝刊十六ページ建て、夕刊八ページ建てに増加 p284
三 総合技術委員会を設置、漢テレ体制の完全化成る p287
四 東西両本社に輪転機増設、連数字鋳植機の開発に成功 p290
五 資本金三億二千万円へ倍額増資、第五回社債二億円発行 p293
六 出版部を局に、英文日経を創刊、福祉厚生施設の充実進む p296
七 英のバレエ団公演を主催、港湾博、国土博を催す p299
八 海外の古代美術展を開催、ビュッフェ展も実現 p303
九 首脳部人事と動静(三十六年―三十八年) p309
第五章 大手町新社屋時代始まる p313
一 東京本社大手町新社屋に移転、盛大な記念行事を開催 p313
二 新資本金六億円となる、発行部数百万部を突破 p318
三 西部支社で本紙の印刷始まる、ファクシミリ方式を採用 p320
四 ファクシミリ送信を拡大、記者クラブにファックスを置く p323
五 東京オリンピック報道、ファクシミリの威力を最大限に活用 p327
六 日曜夕刊を廃止、紙面の刷新を進める p329
七 機構職制を相ついで改革、東京本社に販売、広告の二局を設置 p333
八 購読料月六百円に、日経新書を発刊、広告企画に新機軸 p336
九 大阪本社新館落成、多彩な記念行事を繰り広げる p340
十 経営三カ年計画大綱を策定、経営体質強化の二大基本線を明示 p344
十一 諸外国との文化交流活発化、日本美術を海外に紹介 p346
十二 日本経済研究センターを創立、日経不動産を設立 p352
十三 進展する電波対策、テレビ放送の免許を申請 p356
十四 専務取締役に円城寺次郎主幹、首脳部人事と動静(三十九年以降) p359
八十年略史 p367
第一章 明治時代 p367
一 明治九年、中外物価新報として創刊 p367
二 論評を始める、週二回刊となる p369
三 商況社として独立、待望の日刊を実現 p371
四 三代町に社屋建設、中外商業新報と改題 p373
五 夕刊「商業新報」発刊、発行停止処分を受ける p375
六 北島町新社屋に移転、商況社合資会社となる p377
七 金本位制実現に協力、紙面の一般化を進める p379
八 合資会社商況社解散、社名を変更、株式組織へ発展 p381
第二章 大正時代 p385
一 大正初期の不況を乗り切る、第一次大戦で景気回復を予測 p385
二 第一次大戦ブームに乗る、「中外」の黄金期を迎える p387
三 関東大震災で被害、炎上の新社屋を再建 p389
四 福島新聞を経営、夕刊および大阪中外商業新報を発刊 p391
第三章 昭和時代 p395
一 昭和初期の大不況で経営不振、増資と値下げで切り抜ける p395
二 満州事変以後社業向上へ、朝夕刊十六ページ建てとなる p397
三 戦時体制進展で減ページ続く、三井との関係切れる p399
四 太平洋戦争とともに、「日本産業経済」と改題 p401
五 「日本経済新聞」発足、戦後の発展始まる p404
六 大阪支社で本紙を発行、夕刊を復活、再評価で株式を無償交付 p406
七 海外通信網を拡大、朝夕刊十六ページ建てに p408
八 創刊八十周年を祝う、「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展を開催 p411
九 役員だった人々 p413
〔付録〕 p421
日本経済新聞社年表 p421
日本経済新聞社機構図 折込
職制別異動表 p503
主要機械施設一覧 p521
本社・支社・支局一覧 p535
社員寮・保養所一覧 p539
各種受賞者一覧 p540
定期寄稿者一覧 p551
連載小説・読み物一覧 p555
傍系・関連会社一覧 p563
あとがき 巻末
索引リスト
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