東洋インキ製造(株)『東洋インキ80年史』(1988.01)

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目次項目 ページ
ごあいさつ 取締役社長 永島陸郎 NP
第1部 通史 p1
1. 当社創立まで-東洋インキの夜明け前 p1
1) 創業 p1
2) 横田源太郎とのコンビ p2
2. 明治40年 p4
1) 東洋インキ誕生 p4
2) 顔料アルミナホワイトの製造 p6
3. 明治41年 p6
1) 関西市場への着目 p6
2) 宣伝活動の推進 p8
4. 明治42年 p10
1) 関西市場の対応を強化 p10
5. 明治43年 p12
1) 伏見専売局への足掛かり p12
2) 定款変更、ペイントの製造に着手 p13
3) 専売局とインキ納入初契約 p14
6. 明治44年 p14
1) 羽獅子マークを譲り受け p14
7. 明治45年(大正元年) p16
1) 英国製ガス動力の導入 p16
2) インキ試験用印刷機の設置 p18
8. 大正2年 p20
1) 古武士商標の出願 p20
9. 大正3年 p21
1) 博覧会にインキを出品 p21
2) 大戦により材料入手困難 p22
3) 工業調査会設置 p23
10. 大正4年 p24
1) インキ業界30%の値上げ p24
2) 大戦の影響克服 p26
11. 大正5年 p28
1) 職工使用規定を制定 p28
12. 大正6年 p30
1) 創立10周年、自製化研究進む p30
13. 大正7年 p31
1) 電動機設置、設備の拡充 p31
2) 柏木に工場新設 p32
3) 製版新技術と青戸工場敷地購入 p33
14. 大正8年 p36
1) 富久町工場大改築 p36
15. 大正9年 p38
1) 小柴英侍社長就任 p38
2) 赤色有機顔料の製造 p40
3) クイックドライヤー製造 p41
16. 大正10年 p42
1) グラビア印刷の幕明け p42
2) 富久町工場の火災と復興 p43
17. 大正11年 p46
1) 小柴社長急逝 p46
18. 大正12年 p46
1) 印刷インキ材料同業組合 p46
2) 大震災で本社、倉庫焼失 p47
3) 印刷局焼失と当社の協力 p49
4) 荷車からトラック輸送に p50
19. 大正13年 p51
1) 日本印刷材料株式会社とのかかわり p51
2) 資本金60万円に p52
20. 大正14年 p54
1) 色刷り出版物と営業品目 p54
21. 大正15年(昭和元年) p56
1) 上海、大阪に出張所開設 p56
2) 当時の特許取得と技術内容 p57
22. 昭和2年 p58
1) 契約書の整備 p58
2) 当時の会社概要 p59
23. 昭和3年 p60
1) 退職への備え p60
24. 昭和4年 p61
1) 関西での拡販とグラビアインキ販売 p61
2) 昭和不況へ突入 p62
25. 昭和5年 p66
1) 金輸出政策転々、不況深刻化 p66
2) 未曾有の就職難つづく p67
26. 昭和6年 p68
1) 業績、過去最悪に p68
2) 広報誌「トーヨー」発行 p69
27. 昭和7年 p70
1) 一貫製造の理念と平和への願い p70
2) 小林鎌太郎、皇族から表彰状親授 p71
3) 食品包装用インキなど新製品開発 p72
28. 昭和8年 p76
1) 販売網と販売品目 p76
2) 富久町工場の移転決定 p78
29. 昭和9年 p79
1) 身元保証金積立制 p79
2) 小林鎌太郎社長就任、創立28年目 p80
3) レーキレッドC製造開始 p81
30. 昭和10年 p82
1) PR誌「トーヨー」に見る資料 p82
2) 原料確保に苦慮 p83
3) 広島出張所開設 p83
31. 昭和11年 p86
1) 京城出張所開設 p86
2) 青戸工場建設現場、カーミン6B製造 p87
32. 昭和12年 p87
1) 創立30周年、青戸工場一部操業開始 p87
2) 名古屋出張所開設・フタロシアニンブルー製造開始 p89
33. 昭和13年 p91
1) 小林鎌太郎社長死去 p91
2) 新設青戸工場の建物・設備 p92
3) 東洋自動車運輸(株)設立 p95
34. 昭和14年 p98
1) 社則制定と奉天・台湾出張所開設 p98
2) 代用紙器缶採用と西川求林堂救済 p99
3) 昭和科学研究所 p100
4) 原料不足で印刷・インキ業界苦境に p101
35. 昭和15年 p103
1) 時局が品種統合を促進・新勤務体制成る p103
2) 新会社マーク制定とイメージアップ作戦 p104
3) 横田源太郎去る p106
36. 昭和16年 p107
1) 川村社長辞任、太平洋戦争勃発 p107
37. 昭和17年 p110
1) 中国・南方へのインキ供給 p110
2) 戦時統制強化、昭和紙器の譲渡 p112
38. 昭和18年 p113
1) 富士分工場設置 p113
39. 昭和19年 p115
1) 業界の統合整備 p115
2) 戦時対応製品の生産で徴用止む p116
40. 昭和20年 p118
1) 本社、空襲で焼失・太平洋戦争終結 p118
2) 復興への第一歩 p119
41. 昭和21年 p121
1) 原材料入手に苦闘 p121
2) 労働組合結成・初代は永島組合長 p123
3) 関西進出・大阪支店設立 p123
42. 昭和22年 p124
1) 戦後の統制・制限立法で混乱 p124
2) 戦後技術の第一歩 p125
3) 暗いちまたに一灯・演劇会 p128
43. 昭和23年 p130
1) 染料生産設備増強 p130
2) 従業員給与改訂、規約の整備 p131
3) 印刷インキ試験規格の検討開始 p133
44. 昭和24年 p133
1) 安定恐慌の中で、業績急伸 p133
2) 海外技術導入の端緒、体制整備進む p135
45. 昭和25年 p136
1) 授権資本制と資産再評価 p136
2) インキ・グラビア量産化の準備 p137
3) 本社、青戸工場、大阪支店の体制 p139
46. 昭和26年 p142
1) インターケミカル社と技術提携 p142
2) 当社相談役井上源之丞逝去、山田三郎太社長就任 p144
47. 昭和27年 p145
1) 樹脂型インキ誕生 p145
2) 「インキ試験方法」の検討進行 p146
3) グラビアインキの拡充 p147
4) 樹脂型インキ設定 p148
48. 昭和28年 p149
1) 十条にグラビアインキ工場建設 p149
2) 当社独自の技術開発 p150
49. 昭和29年 p152
1) グラビア工場操業開始 p152
2) アリダイへの参入 p152
3) フィニッシェス技術を導入 p153
50. 昭和30年 p154
1) カラー印刷物急増で好業績 p154
2) グラビア工場名、「十条工場」に p154
51. 昭和31年 p155
1) 米国新技術導入と工場環境の整備 p155
2) 資本金1億円となる、トーヨーインキニュース復刊 p157
52. 昭和32年 p158
1) 創立50周年、スピードキング登場 p158
2) 接着剤技術検討開始・インキ無鉛化実施 p159
53. 昭和33年 p162
1) フィニッシェス量産体制へ p162
54. 昭和34年 p164
1) 技術導入本格化、川越工場完成 p164
55. 昭和35年 p165
1) 本社社屋完成、地方進出始まる p165
56. 昭和36年 p167
1) 地方販売網整う p167
2) 内部管理体制強化、株式二部上場 p169
57. 昭和37年 p172
1) 高度成長の停滞 p172
2) 吹田、川越工場活動本格化、富士工場建設に入る p172
58. 昭和38年 p173
1) 山田三郎太会長、永島豊次郎社長に就任 p173
2) キャラバン販売開始 p175
59. 昭和39年 p177
1) オリンピック開催、当社地方進出の波 p177
60. 昭和40年 p180
1) 合理化委員会発足など社内合理化推進 p180
2) システム改善着手 p181
61. 昭和41年 p182
1) 会社モットー制定 p182
2) 経営情報システム構築開始 p184
62. 昭和42年 p186
1) 創業60周年・一部上場・山田会長逝去 p186
2) ワックス生産本格化、インターケミカル社と技術契約更改 p187
63. 昭和43年 p190
1) EDP化着手、「自ら新しい重荷を負え」 p190
2) 青戸工場新築成る p191
64. 昭和44年 p193
1) PETY事業部発足 p193
2) 米インモント社とハワイ会談開催 p195
65. 昭和45年 p197
1) 公害防止対策実施 p197
66. 昭和46年 p200
1) 関連会社の設立相次ぐ p200
67. 昭和47年 p202
1) ペティ株式会社設立 p202
68. 昭和48年 p203
1) 第一次石油ショック p203
2) 公害問題への取り組み p204
69. 昭和49年 p208
1) 物不足と狂乱物価 p208
2) IGAS'74TOKYOと新事業への取り組み p209
70. 昭和50年 p210
1) 製品別販売部体制の取り入れ p210
2) 不況により入社式延期 p211
3) ヨーロッパに現地法人設立 p212
71. 昭和51年 p212
1) 東洋インキアメリカ(株)設立 p212
2) 公害処理施設の拡充 p213
72. 昭和52年 p216
1) 創立70周年 p216
2) 技術開発の受賞相次ぐ p217
3) 会計事務の一元化と新聞印刷新技術 p218
73. 昭和53年 p219
1) 中期経営計画指針 p219
2) 東洋インキ共催会発足 p219
3) QCサークル活動導入 p220
4) 販売体制強化、機構改革 p221
74. 昭和54年 p221
1) 情報機器ショールーム開設 p221
2) 新モットー制定 p223
3) 人事委員会発足 p224
75. 昭和55年 p226
1) 新中期経営計画策定 p226
2) 安全衛生、環境面を充実 p227
3) マーケッティング活動に注力 p228
76. 昭和56年 p229
1) 低成長打開策と沢村取締役の逝去 p229
2) 業態を大幅に改革 p229
3) レスポンス300システムを公開 p231
77. 昭和57年 p232
1) 研修生宿泊施設整備 p232
2) 長期経営計画「計画80」策定 p233
3) CCMシステムと社内相談制度 p234
78. 昭和58年 p236
1) 会長永島豊次郎、社長永島陸郎就任 p236
2) 新聞インキ、接着テープ、電子材料事業の前進 p237
79. 昭和59年 p238
1) 海外戦略新展開 p238
2) 事業部制新発足とイノベーション p239
80. 昭和60年 p240
1) 未来を求め新規事業へ p240
2) 新ビジョンi&i策定 p242
81. 昭和61年 p243
1) 着色剤・米国へ進出、筑波研究所着工 p243
2) 内部革新と事業構造転換へ p244
82. 昭和62年 p245
1) 創立80周年 p245
第2部 部門史 p249
1. 顔料事業 p249
1) 昭和20年代からの工場生産設備 p249
2) 昭和20年代後半、製品の拡充 p251
3) 昭和30年代、生産増大し富士へ p253
4) 昭和40年代前半、富士工場建設 p254
5) 昭和40年代後半、公害防止の努力 p256
6) 昭和50年代、省資源・省力化へ p257
7) 昭和60年代、新しい発展の準備 p259
8) アリダイの歩み p260
9) チップの歩み p262
10) オリエンタル化成(株)の歩み p264
2. インキ事業 p266
1) 昭和20年代後半から30年代前半まで、海外との技術提携 p266
2) 昭和30年代後半、販売体制強化 p273
3) 昭和40年代、オフ輪時代へ p275
4) 昭和50年代、続く新技術開発 p281
5) 昭和60年代、市場の変化への対応 p285
3. 新聞インキ事業 p287
1) 新聞インキ業界への参入 p287
2) エマルジョンインキの開発 p290
3) デルファイシステムの進展 p291
4) 朝日新聞社との接触と展開 p292
5) エマリソシステムの開発 p294
6) 新型凸版インキの開発 p296
7) その後の動きと生産体制の整備 p297
8) 大阪に新聞インキ営業拠点新設 p298
4. グラビア事業 p299
1) 昭和30年代前半、グラビア工場創設 p299
2) 昭和30年代後半と関西の状況 p301
3) 昭和40年代前半、被印刷体の多様化 p302
4) 昭和40年代後半、第一次石油ショック p304
5) 昭和50年代の市場環境と技術 p306
6) 昭和50年代後半の工場関係 p307
7) 昭和60年代の新展開 p310
8) グラビア事業部・関係会社 p311
5. 塗料・樹脂事業 p316
5.1 フィニッシェス p316
1) 昭和20年代、創成期 p316
2) 昭和30年代前半、十条工場時代 p317
3) 昭和30年代後半、川越工場建設から全国展開へ p319
4) 昭和40年代、需要多様化への対応 p321
5) 昭和50年代、各種技術の進展 p324
6) 昭和60年代、新しい時代へ p326
5.2 塗装剤 p328
1) パネルコーチング p328
2) 自動車補修用塗料 p329
3) ライオポール p329
4) ボトルコーチング p330
5) 電磁波シールド塗料ほか p330
6. 着色剤事業 p331
1) 昭和20年代、ペーストカラーの始まり p331
2) 昭和30年代、石油系プラスチックの拡大 p332
3) 昭和40年代、着色剤拡販体制の確立 p335
4) 昭和50年以降、事業体質の変革 p338
7. 接着剤事業 p342
1) 昭和30年代、導入期 p342
2) 昭和40年代前半、新規部門の基礎形成 p344
3) 昭和40年代後半、続く新製品開発 p348
4) 昭和50年代、合弁新会社発足 p351
5) 昭和60年代、ユーザーニーズの多様化 p352
6) 接着剤事業部・関係会社 p355
8. 電子材料事業 p359
1) 昭和40年代後半、静電トナーとの取り組み p359
2) 昭和50年代、「電子材料」研究の組織化 p360
3) 昭和60年代、電子材料の展開 p364
9. 接着テープ事業 p366
1) 昭和30年代、接着テープの輸入と国産化 p366
2) 昭和40年代、強粘着型両面接着テープの作成 p367
3) 昭和50年代、生産体制の確立整備 p369
10. 印刷材料・機械・機器事業 p376
1) 機械・材料販売組織化までの歴史 p376
2) 印刷機械 p379
3) 電算写植 p381
4) ナイロプリント p383
5) 水なし平版システム p385
6) 全自動製版システム「レスポンス」 p386
7) UV装置 p388
8) その他の機器、印刷材料 p389
11. その他の活動 p394
11.1 広報 p394
1) PR誌 p396
2) カレンダー p396
3) 広告 p397
11.2 環境改善 p399
1) 組織発足の経緯 p399
2) 環境本部の役割と業務 p399
3) 環境調査 p400
4) 分析業務 p401
5) 排水処理業務 p401
6) その他の活動 p401
11.3 社員教育 p402
1) 創立より太平洋戦争終結まで p402
2) 戦後から昭和40年代まで p403
3) 昭和50年代以後 p405
11.4 福利厚生 p407
1) 社宅対策 p407
2) 財産援助施策 p407
3) 厚生年金 p408
4) 健康保険 p409
5) 共済会 p409
11.5 地域社会との交流 p410
1) 富久町工場から青戸工場へ p410
2) 関東・中部地方の工場の活動 p410
3) 関西の工場および地方事業所の活動 p412
12. 業績の推移 p414
1) 損益計算書の変遷 p414
2) 明治大正期 p419
3) 昭和元年より20年まで p422
4) 昭和21年より40年まで p424
5) 昭和41年から60年まで p428
第3部 資料 p434
1. 当社創立と定款 p434
1) 東洋インキ製造株式会社創立趣意書 p434
2) 東洋インキ製造株式会社目論見書 p434
3) 定款 p435
2. 社標・商標 p442
3. 株式および資本金の推移 p445
1) 創立より昭和20年代前半まで p445
2) 昭和20年代後半から48年まで p446
3) 昭和49年から創立80周年まで p447
4. 資産の推移 p452
1) 明治・大正期の資産 p452
2) 昭和年代、太平洋戦争終結まで p455
3) 昭和20年代前半・戦後経済の混迷の中で p458
4) 20年代後半から30年代、戦後から飛躍期へ p463
5) 昭和40年代・激変から安定成長へ p465
6) 昭和50年代から60年代へ p465
5. 歴代役員任期一覧 p470
6. 役員・従業員数の変遷 p474
7. 従業員に関する諸制度 p484
1) 概要 p484
2) 明治・大正年代 p485
3) 昭和年代、戦時中 p488
4) 昭和20年代から昭和40年代まで p494
5) 昭和50年代以後 p495
8. 営業種目の変遷 p499
1) 営業種目の推移の概要 p499
2) 大正・昭和初期の営業品目 p499
3) 最近の営業品目 p506
9. 事業所一覧 p509
10. 関係会社一覧 p510
第4部 用語辞典・色名 p513
1. 用語辞典 p513
2. 色名 p619
1) 基本色名 p620
2) 修飾語 p621
3) 慣用色名 p622
引用文献・参考文献 p633
編集後記 p636
インタビュー、資料関係協力者、原稿関係協力者 p638
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