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目次項目 | ページ |
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発刊のご挨拶 / 代表取締役社長 岡崎雅好 | p2 | |
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祝辞 / 清水建設株式会社 代表取締役社長 宮本洋一 | p4 | |
口絵 | 〔6〕 | |
工事実績 | 〔6〕 | |
経営基本理念 | 〔27〕 | |
沿革編 | 〔35〕 | |
第1章 清水店の鉄工部門として深川で創業 1914-1927 大正3年~昭和2年 | p36 | |
1 産声上げた「深川工作場・鉄工所」 | p36 | |
鉄骨造建築の増加を予見して | p36 | |
発案者・清水釘吉 | p38 | |
未曾有の好景気と順調な事業発展 | p38 | |
2 「芝浦工作所」の開設 | p39 | |
芝浦への移転で工場の拡張を図る | p39 | |
関東大震災の復興を支える | p40 | |
難度の高い建築物で確たる実績 | p41 | |
大正から昭和へ、時代を象徴する構造物を手掛ける | p42 | |
COLUMN 鹿児島から上京した小川組 | p37 | |
COLUMN 深川工作場・鉄工所の原風景 | p40 | |
第2章 合資会社東京鉄骨橋梁製作所の設立 1928-1945 昭和3年~昭和20年 | p44 | |
1 機が熟した清水組からの分離独立 | p44 | |
「鉄骨」に加えて「橋梁」も事業領域に | p44 | |
本格的な橋梁工事の第一歩を記す | p45 | |
経済恐慌を伴う不況の時代に | p46 | |
2 労働条件の変化の中で | p47 | |
親方請負制から直傭の労働制度へ | p47 | |
減給措置で不況をしのぐ | p47 | |
3 進む戦時体制の下で | p49 | |
国力増強を支えた工事実績 | p49 | |
地域を支える道路橋と民鉄の鉄道橋で実績を重ねる | p50 | |
工場拡張で需要拡大に応える | p51 | |
4 戦況の深刻化へ | p52 | |
太平洋戦争の勃発と大増産体制 | p52 | |
次第に深刻化していった鋼材不足 | p53 | |
東京大空襲の難を逃れて | p54 | |
COLUMN 設立当初の通勤事情 | p48 | |
COLUMN 社章とTSマーク[TSは記号] | p49 | |
COLUMN 白木屋呉服店の火災 | p50 | |
COLUMN 残業続きの日々も一致団結で乗り切る | p52 | |
第3章 鉄骨・橋梁製作の地盤を固めて 1945-1954 昭和20年~昭和29年 | p57 | |
1 終戦、そしてゼロからの再起 | p57 | |
接収された第3工場 | p57 | |
細々とした復旧工事を足がかりに | p58 | |
困窮した国民生活と労働組合の結成 | p58 | |
合資会社から株式会社へ改組 | p59 | |
2 戦後復興と受注増大 | p61 | |
GHQの占領下で復調を見せる | p61 | |
オフィスビル・工場・庁舎など復活する建築需要 | p62 | |
発電や通信など社会基盤施設の鉄骨を担う | p63 | |
独立した国家へ、戦後からの脱却 | p63 | |
3 設計・生産技術向上へ高まる気運 | p64 | |
橋梁技術者の採用を開始 | p64 | |
促された生産技術の向上 | p65 | |
リベット工法全盛も、溶接工法の開花近付く | p66 | |
COLUMN お稲荷さん | p60 | |
COLUMN カシメ屋vs電気屋 | p67 | |
第4章 高度経済成長の序章 1955-1963 昭和30年~昭和38年 | p69 | |
1 多様化・大型化する建築需要 | p69 | |
神武景気から岩戸景気へ | p69 | |
大型火力発電所などの建設 | p70 | |
都心の名高い建築物で多種多様な実績を挙げる | p70 | |
海外工事の始まり | p72 | |
2 橋梁分野で真価を発揮 | p72 | |
慎重を重ねた蒲田跨線橋の架設 | p72 | |
高速道路の道路橋建設へ | p73 | |
オリンピック開催へ向けて急がれた交通網の整備 | p74 | |
その他の特徴ある橋梁工事 | p75 | |
3 生産拠点の拡大を模索 | p77 | |
生産能力向上を託した東雲工場 | p77 | |
広大な敷地を求めて、取手工場を新設 | p77 | |
溶接工法の全盛時代へ | p78 | |
4 会社発展の基盤を固めて | p79 | |
相次ぐ増資と業績の向上 | p79 | |
営業所の開設と機能発揮 | p80 | |
COLUMN 幻の高速道路構想 | p76 | |
COLUMN 取手工場の草創期 | p78 | |
第5章 国土近代化の追い風を背に 1964-1970 昭和39年~昭和45年 | p82 | |
1 超高層ビル時代の幕開け | p82 | |
建築基準法の高さ制限撤廃で迎えた新時代 | p82 | |
深刻な住宅不足を克服した集合住宅 | p83 | |
皇居新宮殿などを手掛ける | p84 | |
2 長大橋への挑戦と橋梁事業の拡充 | p85 | |
福島第1工区の難工事を克服 | p85 | |
本格化した高速道路の整備 | p86 | |
本四架橋への布石、花輪跨道橋 | p88 | |
各地の特徴ある橋梁整備 | p89 | |
3 役割増す取手工場 | p90 | |
第2期建設工事で橋梁生産を強化 | p90 | |
芝浦から取手への移転構想を打ち出す | p91 | |
4 組織体制面の整備 | p92 | |
「社報」の創刊と組織体制 | p92 | |
福利厚生と諸待遇の改善 | p94 | |
情報化時代の萌芽 | p95 | |
COLUMN 「柔構造」が導いた超高層ビル時代 | p83 | |
COLUMN 「現寸」と「原寸」 | 9O | |
第6章 成長基盤の確立に向けて 1971-1978 昭和46年~昭和53年 | p97 | |
1 取手工場の拡充 | p97 | |
「取手工場への全面移転」の経営判断 | p97 | |
移転のための環境づくりへ | p97 | |
当面の完成を迎えた取手工場 | p98 | |
新本社ビルの建設とコンピューターの導入 | p99 | |
2 全国的な道路・鉄道整備需要に応えて | p100 | |
熟慮して進めた首都高速道路の鋼橋建設 | p100 | |
阪神高速道路では大ブロック架設に挑む | p101 | |
全国的な広がり見せる高速道路整備 | p102 | |
その他の特徴ある橋梁 | p103 | |
本州四国連絡橋建設へ万全の備え | p105 | |
3 オイルショックの余波を乗り越えて | p106 | |
サンシャイン60など超高層ビルを手掛ける | p106 | |
首都・東京の中心部で確かな実績 | p107 | |
高層住宅から駅ビル、海外工事など多彩に | p108 | |
4 設計・製作の自動化と技術開発の取り組み | p109 | |
コンピューターによる自動設計製図に着手 | p109 | |
NC穿孔機の導入とNC原寸の着手 | p109 | |
研究室の設置と「技術報」の創刊 | p110 | |
COLUMN 応急橋の開発―O橋からテックブリッジへ | p104 | |
第7章 逞しい成長の軌跡を描いて 1979-1988 昭和54年~昭和63年 | p112 | |
1 本州四国連絡橋の建設 | p112 | |
念願の初受注と防府工場の整備 | p112 | |
東洋一の吊橋、因島大橋の設計から架設まで | p113 | |
北備讃瀬戸大橋など鉄道道路併用橋の相次ぐ受注 | p114 | |
大ブロック一括架設の先例を示した伯方橋 | p115 | |
斜張橋の主塔工事に挑んだ生口橋 | p116 | |
2 橋梁の難工事にも果敢に挑戦 | p116 | |
千葉臨海工場を新設、東西で臨海部の生産体制を構築 | p116 | |
かつしかハープ橋など首都高速道路で多くの実績 | p117 | |
関西国際空港へのアクセス向上を担う橋梁群 | p118 | |
日本道路公団でも相次いだ大型案件 | p120 | |
その他の主な工事―地方道路公社そして建設省(現・国土交通省) | p121 | |
その他の主要工事―地方公共団体 | p122 | |
鉄道関連でも実りある実績を残す | p123 | |
都心部の立体交差化に寄与したSTRUM工法 | p124 | |
3 新たな都市再開発の順風を受けた鉄骨事業 | p125 | |
芝浦・浜松町周辺で始まった都市再開発の潮流 | p125 | |
東京湾ウォーターフロント開発の幕張新都心 | p126 | |
東京都庁などの庁舎やドーム、ミュージアムを手掛ける | p127 | |
その他の主な鉄骨工事:国内 | p128 | |
その他の主な鉄骨工事:海外 | p130 | |
4 システム化の進展と企業力の強化 | p131 | |
3次元鉄骨CAD/CAMシステムの導入 | p131 | |
橋梁設計~原寸のCAD活用 | p131 | |
売上高を200億円台に乗せる | p132 | |
COLUMN 橋梁事業を下支えした鉄道班 | p125 | |
COLUMN 福利厚生の充実 | p132 | |
第8章 旺盛な需要を背に受けて 1989-1996 平成元年~平成8年 | p135 | |
1 臨海部で相次いだ巨大プロジェクトと大型橋梁 | p135 | |
東京臨海部の風景を変えた橋梁群―レインボーブリッジなど | p135 | |
東京臨海部の風景を変えた橋梁群―東京湾アクアライン | p136 | |
最後の本四工事に備えた千葉臨海工場の増強 | p137 | |
佳境を迎えた本州四国連絡橋―来島大橋 | p138 | |
佳境を迎えた本州四国連絡橋―明石海峡大橋ほか | p139 | |
伊勢湾岸自動車道の整備と名港トリトン | p140 | |
2 全国各地で地域活性の役割を担った橋梁 | p142 | |
首都圏では放射道路から環状道路の整備へ | p142 | |
湾岸線を中心に整備が進む阪神高速道路 | p143 | |
阪神・淡路大震災と復旧工事 | p144 | |
日本道路公団では困難を極めた改築工事や合理化橋梁も | p146 | |
その他の特徴ある道路橋整備―建設省関連 | p147 | |
その他の特徴ある道路橋整備―地方公共団体関連 | p149 | |
新交通システム関連で新設工事受注が続く | p150 | |
立体交差化などの鉄道改良工事、メンテナンスで地力を発揮 | p151 | |
3 個性的な建築物を支えて | p153 | |
構造の複雑化や大架構に対応した建築鉄骨 | p153 | |
横浜ランドマークタワーなど「みなとみらい21」で実績 | p154 | |
臨海副都心を中心に湾岸部での実績が続く | p155 | |
その他の主要な鉄骨工事 | p156 | |
鉄骨事業だけで売上100億円を超える | p156 | |
4 本社体制の整備 | p157 | |
本社ビルの建て替えの機が熟す | p157 | |
永田町での仮住まいを経て新本社ビルへ | p158 | |
情報処理システム関連の進展 | p158 | |
社名を「株式会社東京鉄骨橋梁」に変更 | p158 | |
COLUMN 業界内で膨らんだムードと一線を画す | p159 | |
第9章 苦境のときを迎えて 1997-2005 平成9年~平成17年 | p162 | |
1 熾烈なコスト競争に直面した建築鉄骨 | p162 | |
建築鉄骨を巡る環境の激変 | p162 | |
創業以来の大型工事となったテプコ豊洲ビル(ビッグドラム) | p163 | |
再開発オフィスビルなどで実績を上げる | p164 | |
その他の主要な鉄骨工事 | p165 | |
2 橋梁は合理化構造の時代へ | p166 | |
鮮明になった公共工事のコスト縮減方向 | p166 | |
新たな主桁形式と床版形式に挑む | p167 | |
新東名・新名神を中心に合理化橋梁が続く | p168 | |
都市高速道路でも合理化橋梁を手掛ける | p170 | |
その他の特徴ある道路橋整備―建設省(国土交通省)関連 | p172 | |
その他の特徴ある道路橋整備―地方公共団体関連 | p173 | |
鉄道橋―整備新幹線・つくばエクスプレスから民鉄の大型工事まで | p174 | |
3 生産性向上を目指して | p177 | |
生産情報システム「シンフォニー(SYMPHONY)」への一歩を記す | p177 | |
取手工場第4工場の新設と設備改善 | p178 | |
技術研究所と大型構造物試験センターの稼働開始 | p178 | |
新規事業創出の試み | p179 | |
4 当社経営を巡る激震の時代 | p179 | |
市場規模の縮小に対応した「構造改革」に着手 | p179 | |
独占禁止法違反事件とその影響 | p180 | |
帳消しとなった利益体質 | p180 | |
エモトの子会社化と関連会社の見直し | p181 | |
COLUMN 半世紀を経て建て替えとなった江の島展望灯台 | p167 | |
COLUMN ルート157に架かる橋 | p174 | |
COLUMN 鉄道橋の用語について | p175 | |
COLUMN 事務・管理系システムも新たな段階へ | p177 | |
COLUMN ISO9001(品質)に続いてISOI4001(環境)の認証を取得 | p181 | |
第10章 再生の道筋と光明 2006-2014 平成18年~平成26年 | p183 | |
1 公共工事品確法の施行と総合評価落札方式 | p183 | |
「最低価格落札方式」から「総合評価落札方式」へ、入札制度の大転換 | p183 | |
総合評価落札方式に対応した体制整備 | p184 | |
暗闇の中に、薄日が差す | p184 | |
2 強靱な企業体質への転換に挑む | p185 | |
現状の把握そして対策へ | p185 | |
社員のモチベーションUPへ | p186 | |
千葉臨海工場の一時休止と実働部隊の取手への集結 | p186 | |
3 合理的な社会資本の整備に向けて | p188 | |
苦境を支えた橋梁工事 | p188 | |
相次ぐ優良工事表彰 | p190 | |
橋梁事業の追い風となった新東名・新名神と圏央道 | p191 | |
その他の特徴ある道路橋 | p192 | |
道路橋の受注減を補った鉄道橋 | p193 | |
鉄骨工事で大型案件の受注が相次ぐ | p194 | |
4 次代につなぐ競争優位性を求めて | p196 | |
橋梁メンテナンスシステム「Re-BRI(リブリ)」の発進 | p196 | |
東日本大震災と関連工事 | p198 | |
福島原発1号機「原子炉建屋力バー」に挑む | p199 | |
5 新たな成長路線へ一歩を記す | p200 | |
250億円体制を目指して | p200 | |
本業の強化・拡大で成長軌道を盤石に | p201 | |
社会資本整備に尽力した誇りと責任感を、次の世代へ | p201 | |
COLOMN 技術者個人への栄誉も続く | p191 | |
COLUMN 労働安全衛生マネジメントシステム(コスモス)の認証を取得 | p202 | |
資料編 | 〔205〕 | |
現行定款 | p206 | |
会社概要 | p209 | |
組織図 | p210 | |
拠点網 | p211 | |
歴代代表者 | p212 | |
現役員 | p213 | |
歴代役員任期一覧 | p214 | |
売上高の推移 | p217 | |
資本金の推移 | p218 | |
従業員数の推移 | p219 | |
主な工事経歴 | p220 | |
歴代労働組合執行委員長 | p235 | |
年表 | p236 | |
創業100周年記念祝賀会 | p252 | |
創業100周年を祝う会 | p253 | |
参考文献 | p254 | |
写真提供先一覧 | p255 | |
編集後記 | p256 |
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