※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 桜島が大噴火 | 社会一般事項 | |
3月 | 東京大正博覧会が開催 | 社会一般事項 | |
7月 | 第1次世界大戦勃発 | 社会一般事項 | |
8月 | 清水満之助本店(後の清水組、現・清水建設株式会社)深川工作場内に併設された「深川鉄工所」として創業。創業者は清水釘吉 | 当社事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 中国に21カ条の要求を提出 | 社会一般事項 | |
1月 | ドイツ軍がイギリス本土を空襲開始 | 社会一般事項 | |
6月 | 東京市小石川区久堅町の博文館印刷所(現・共同印刷、博文館新社)の鉄骨工事受注 | 当社事項 | |
10月 | 清水満之助本店から合資会社清水組へ改組。清水釘吉が店長に就任 | 当社事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 横須賀海軍工廠タービン組立工場の現場製作工事を手掛ける | 当社事項 | |
9月 | 工場法施行 | 社会一般事項 | |
- | この年の暮れまで「深川工作所」の人員のほとんどが現場に駆り出された | 当社事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | アメリカがドイツに対して宣戦布告 | 社会一般事項 | |
5月 | 浅井長次郎が深川工作場の責任者に就任 | 当社事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 第1次世界大戦終戦 | 社会一般事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 都市計画法と市街地建築物法公布 | 社会一般事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 株式や綿糸、生糸の市場が大暴落 | 社会一般事項 | |
- | この頃の生産量月間200t程度 | 当社事項 | |
- | 溶接工法が試験的に日本で初めて用いられる | 社会一般事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 日本でメートル法が公布 | 社会一般事項 | |
11月 | 芝浦に新たな鉄工所の用地として約2万2,500m2の土地を借り入れる | 当社事項 |