(株)東京鉄骨橋梁『東京鉄骨橋梁百年史』(2014.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
- 工場中央に7.5tのガイデリック・クレーンを設置 当社事項
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- 橋梁部門を設け、その設計・製作業務を開始 当社事項
- 手工法から機械工法に移り始め、諸設備の設置を開始 当社事項
- 東京に円タク登場 社会一般事項
- 「道路構造に関する細則案」(現在の示方書の元が策定) 社会一般事項
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
1月 清水組は「店長」の呼称を廃止、「社長」に呼称を改める 当社事項
5月 リンドバーグが大西洋の単独無着陸飛行に成功 社会一般事項
12月 日本初の地下鉄が浅草―上野間で開業 社会一般事項
- 五反田駅乗換跨線橋を池上電気鉄道(現在の東京急行電鉄)より受注(本格的な橋梁第1号) 当社事項
- 片岡直温蔵相の失言により取り付け騒ぎが広がり、昭和金融恐慌を引き起こす 社会一般事項
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月 清水組から独立、合資会社東京鉄骨橋梁製作所設立、資本金100万円。初代代表社員に清水揚之助が就任 当社事項
2月 東京市道路局技術長の竹内季一と道路局橋梁課長の谷井陽之助を招聘 当社事項
2月 日本初の普通選挙が行われる 社会一般事項
6月 アメリア・エアハートが女性初の大西洋横断飛行に成功 社会一般事項
8月 パリで不戦条約が締結 社会一般事項
9月 フレミングがペニシリンを発明 社会一般事項
10月 工場職制を定め、事務係(庶務・材料)と工作係(鉄骨・鍛工・機工・企画)とする 当社事項
- 生産量が初めて月産1,000tを超える 当社事項
- 東京鉄骨橋梁の頭文字(TTK)を組み合わせた社章を制定 当社事項
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
3月 職制を改正し、営業係・作業係を設ける 当社事項
PAGE TOP