※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 中村房次郎取締役に就任す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
9月1日 | 平塚出張所、支店に昇格す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
9月15日 | 下記出張所を廃止す。大船、鎌倉、西浦、二宮、宮ノ下各出張所。 | 横浜銀行年表//当行 | |
- | 景気回復跛行的。大凶作米収5,2000万石 | 横浜銀行年表//参考事項 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月26日 | 役員異動 ★頭取原富太郎辞任し相談役に就任★第二代頭取井坂孝就任★中村房次郎副頭取に就任。 | 横浜銀行年表//当行 | |
- | 大正7年から17年振りの貿易出超2,600万円 | 横浜銀行年表//参考事項 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | 2・26事件(高橋蔵相暗殺さる) | 横浜銀行年表//参考事項 | |
7月29日 | 監査役桜井伊兵衛辞任す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
11月1日 | 子安支店、地番変更す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月3日 | 七十四銀行を七十四商事株式会社と商号変更す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
3月16日 | 大西一郎相談役に就任す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
3月22日 | 常務取締役二宮兼雄辞任す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
7月7日 | 蘆溝橋事件起り支那事変に拡大。 | 横浜銀行年表//参考事項 | |
7月28日 | 相談役大西一郎頭取代行取締役に就任す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
9月10日 | 「臨時資金調整法」公布。 | 横浜銀行年表//参考事項 | |
11月6日 | 「日・独・伊三国防共協定」締結。 | 横浜銀行年表//参考事項 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 保証準備発行限度を17億円に拡張。 | 横浜銀行年表//参考事項 | |
5月5日 | 「国家総動員法」施行。 | 横浜銀行年表//参考事項 | |
10月10日 | 川崎支店新川通出張所 開設す。 | 横浜銀行年表//当行 | |
11月1日 | 潮田支店、開設す。 | 横浜銀行年表//当行 |