※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 大阪海上、資本金五百万円を一千万円に増資 | 当社事項 | |
10月 | 大正海上設立 | 損保・一般事項 | |
11月 | 第一次世界大戦終結 | 損保・一般事項 | |
12月 | 扶桑海上、ロンドンのジェームス・ハートレー・クーパー社を代理店として海上保険引受業務開始 | 当社事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 摂津海上保険株式会社設立、資本金二百万円、竹内直哉社長就任 | 当社事項 | |
3月 | 扶桑海上、上海出張所設置 | 当社事項 | |
3月 | 三菱海上設立 | 損保・一般事項 | |
6月 | ベルサイユ講和条約調印 | 損保・一般事項 | |
12月 | 扶桑海上、火災・運送保険認可 | 当社事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 大阪海上、範多竜太郎社長退任、多羅尾源三郎社長就任 | 当社事項 | |
3月 | 株価暴落、一九二〇年恐慌(戦後恐慌)始まる | 損保・一般事項 | |
4月 | 扶桑海上、ニューヨークのカーピンター・アンド・ベーカー社に海上代理店委託決定 | 当社事項 | |
4月 | 日本海上保険協会設立 | 損保・一般事項 | |
5月 | 扶桑海上、社名を扶桑海上火災保険株式会社に改称 | 当社事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 住友総本店、住友合資会社に改組 | 損保・一般事項 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大阪海上、サムナー・バラードを代理店として北米で火災保険営業開始 | 当社事項 | |
1月 | 扶桑海上、大連出張所設置 | 当社事項 | |
2月 | 扶桑海上、ウィリアム・H・ケンゼル社を代理店として北米ニューヨークで火災保険営業開始 | 当社事項 | |
2月 | 海軍軍備制限条約調印 | 損保・一般事項 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 扶桑海上、三倉滋専務取締役就任 | 当社事項 |