※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | ・契約者配当金の支払いを開始(年3分の累加配当方式) | 当社事項 | |
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | ・責任準備金の積立方式を純保険料式に改定 | 当社事項 | |
9月 | ・支配人制を実施 | 当社事項 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | ・保有契約高1,000万円を突破 | 当社事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | ・大正と改元 | 業界・一般事項 | |
10月 | ・地方部を新設し地方進出を本格化 | 当社事項 | |
11月 | ・創立10周年を記念して契約者配当を1分増配 | 当社事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | ・「寿福保険」を発売 | 当社事項 | |
7月 | ・第一次世界大戦勃発 | 業界・一般事項 | |
12月 | ・社内報の発行を開始 | 当社事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | ・矢野恒太、第2代社長に就任 | 当社事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | ・簡易生命保険事業開始 | 業界・一般事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | ・創立15周年を記念して契約者配当を1分5厘増配(以後、契約者配当率を4分5厘とする) | 当社事項 | |
11月 | ・基金全額を償却 | 当社事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | ・保有契約高5,000万円を突破、総資産1,000万円を突破 | 当社事項 | |
8月 | ・流行性感冒(スペイン風邪)が全国に蔓延(以後、3年間で3回流行) | 業界・一般事項 | |
11月 | ・第一次世界大戦終結 | 業界・一般事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | ・社員総代選挙方法をあらため、選挙区制を創設 | 当社事項 | |
10月 | ・東京、大阪両地方部を支部と改称 | 当社事項 | |
10月 | ・日本医師共済生命保険相互会社開業(昭和8年に昭和生命保険相互会社と改称し、他の相互会社4社と合同) | 業界・一般事項 |