協和発酵工業(株)『薔薇は薔薇 : 協和発酵35年史』(1984.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
7月 宝酒造(株)、合同酒精(株)、大日本酒類醸造(株)の3社で協和会を結成し、本部を麹町区有楽町1―2―1常盤生命ビルに置く
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
2月 協和会のなかの購買部門を分離し日本共商(株)設立
11月 加藤弁三郎 宝酒造(株)より協和会に転出、研究部長となる。商工省東京工業試験所開放研究室(渋谷区幡ヶ谷本町1)に協和化学研究所を開設し、合成アルコール、ブタノールよりのイソオクタンの合成等の研究を開始
昭和14年(1939) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 渋沢関係略年譜
11月 日本共商(株)は、協和化学興業(株)に商号を変更するとともに、化学品、医薬品を事業目的に加え、協和化学研究所を管掌
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
2月 協和化学研究所は渋谷区代々木大山町1045に研究所を新築移転
12月 発酵ブタノールより合成されたイソオクタンサンプルができる
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
2月 協和化学興業(株)は富士化工(株)を合併
6月 協和化学興業(株) 協和化学研究所開発製品の企業化ならびにイソオクタン製造用燐酸触媒製造のため、静岡県駿東郡長泉村下土狩1188に富士工場の建設着手
8月 東洋紡績(株) 福島人絹(株)防府工場買収
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
3月 ソルベントおよびイソオクタン製造のため、宝酒造(株)、合同酒精(株)、大日本酒類醸造(株)、東洋紡績(株)、第一生命、大日本麦酒醸造(株)により、東亜化学興業(株)設立
3月 富士工場完成
12月 東亜化学興業(株) 防府工場(防府市三田尻1835)発酵設備を完成(現防府工場)
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
3月 協和会解散
3月 東亜化学興業(株)防府工場 砂糖よりソルベント(アセトン・ブタノール)製造開始
4月 協和化学興業(株)は近藤化工(株)を合併し、堺工場を設置(現堺工場)//酢酸、酢酸エステル、ムスク、吉草酸、フタル酸エステル、燐酸エステル、ザンセート、メタアクリル酸メチル、パラオキシ安息香酸ブチル、有機染料、顔料、イソアミルレゾルシン等を製造(堺市高須町1―1)
8月 東亜化学興業(株)防府工場 ソルベント製造を中止しアルコール製造に転換
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
4月 東亜化学興業(株)は協和化学興業(株)を合併
8月15日 終戦
9月2日 GHQ 軍需生産停止を指令
10月 富士工場 ゴム加硫促進剤「ブタニリン」有機酸「イソ吉草酸」製造開始
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