※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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宝永3年(1706) | - | アミカブル・ソサエティ創立(イギリス:前近代的生命保険組合) | 業界・一般事項 |
宝暦12年(1762) | - | エクイタブル・ソサエティ創立(イギリス:世界最初の近代的生命保険会社) | 業界・一般事項 |
文政10年(1827) | - | ゴータ生命創立(ドイツ最初の近代的生命保険会社) | 業界・一般事項 |
天保13年(1842) | - | ミューチュアル・ライフ創立(アメリカ) | 業界・一般事項 |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日本とアメリカ・オランダなど5か国との間で修好通商条約および貿易章程に調印 | 業界・一般事項 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月2日 | 矢野恒太生誕 | 当社事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 福沢諭吉、『西洋旅案内』を刊行。同書の中で「インシュアランス」を「人の生涯を請合ふ事」と訳し、その内容を紹介 | 業界・一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 内外用達会社設立、保険の代理業など各種代理業を営む | 業界・一般事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 丸屋商社(現、丸善株式会社)、社員のための死亡請合規則を設ける | 業界・一般事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月5日 | 外国保険会社の日本人に対する生命保険契約開始の新聞広告初出(『読売新聞』) | 業界・一般事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 西南戦争勃発 | 業界・一般事項 | |
6月 | 第一国立銀行、海上危険受合業を開始 | 業界・一般事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 東京海上保険会社(後の東京海上火災保険株式会社)開業 | 業界・一般事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 共済五百名社創立 | 業界・一般事項 | |
9月29日 | 日東保生会社創立認可(開業に至らず明治14年6月に解散) | 業界・一般事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月7日 | 農商務省設置 | 業界・一般事項 | |
7月9日 | 有限明治生命保険会社開業 | 業界・一般事項 | |
- | このころ、類似保険会社相次ぎ創立 | 業界・一般事項 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 帝国生命保険会社(後の朝日生命)開業 | 業界・一般事項 | |
10月1日 | 有限責任東京火災保険会社(後の安田火災海上保険株式会社)開業 | 業界・一般事項 |