※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | ベルサイユ平和条約調印 | 業界・一般 | |
12月11日 | 武市利美、取締役会長に就任(荘田平五郎は10年2月まで取締役在任) | 当社 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 株式市場暴落、経済恐慌勃発 | 業界・一般 | |
10月1日 | 第一回国勢調査実施 | 業界・一般 | |
10月11日 | 広島出張所新設(昭和4・2・28支店昇格) | 当社 | |
12月1日 | 募集員を外務員と改称、支給規定改正により能率給を採用 | 当社 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 創業四〇周年、大正十年創設利付保険(尋常終身、有限終身、養老)発売 | 当社 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月6日 | ワシントン海軍軍縮条約調印 | 業界・一般 | |
2月23日 | 資本金を二〇〇万円に増資 | 当社 | |
4月22日 | 健康保険法公布(15・7・1施行) | 業界・一般 | |
4月30日 | 荘田平五郎死去(享年七四) | 当社 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災(死者約一〇万人) | 業界・一般 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
10月22日 | 阿部泰蔵死去(享年七五) | 当社 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 商工省新設(保険監督業務を農商務省から移管) | 業界・一般 | |
9月10日 | 大連出張所新設(昭和12・9・21支部と改称、18・6・1新京支店に合併) | 当社 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 簡易保険局、郵便年金事業を開始 | 業界・一般 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌始まる | 業界・一般 | |
5月31日 | 保有契約高五億円突破 | 当社 | |
12月31日 | 総資産一億円突破 | 当社 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 第一回普通選挙実施 | 業界・一般 |