サントリー(株)『みとくんなはれ』(1969.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和10年(1935) - 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 渋沢関係略年譜
7月27日 安井咸吉退社 当社関係
- リンゴ酒シャンパン「ポンパン」生葡萄酒「ヘルメスデリカワイン(赤白)」および「ヘルメスシャンパン」を製造発売 当社関係
- 原料アルコールの製造方法を従来の麹法からアミロ法に転換 当社関係
- 道明寺工場でブランデー蒸溜開始 当社関係
- ポンパン製造の副産物であるペクチン(製菓用原料)の分離・精製に電気透析法応用の特許を取得。この頃より終戦まで赤玉の生産は月産、二万~二万五千ダースを維持し続ける 当社関係
- 赤玉の「開函通知書」を「買入通知」に名称を変更し、その内容を一新する 当社関係
- 戦前のバー全盛時代、銀座で五百軒に達す(「サイセリア」「じゅんバー」など) 洋酒・ビール業界
昭和11年(1936) - 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 渋沢関係略年譜
2月26日 二・二六事件 一般
3月1日 資本金三百万円に増資 当社関係
3月17日 京阪神の有力業界人を招待しウイスキーの製造工程をみせる 当社関係
7月14日 (株)岩ノ原葡萄園塩尻工場(長野県東筑摩郡塩尻町)を当社経営に移し当社塩尻工場とする 当社関係
8月6日 濃縮ジュース「トリスグレープジュース」「トリスオレンジジュース」「ヘルメスドライジン」(昭和四十一年四月「サントリージン74プルーフ」に改称)「ヘルメスイタリアンベルモット」「カンロチュウ」を製造発売 当社関係
8月 大日本果汁北海道工場に、ウイスキー、ブランデー製造免許下付 洋酒・ビール業界
10月11日 会社事業目的に原野の開墾、果樹蔬菜の栽培ならびに果汁、蔬菜の販売を加える 当社関係
10月11日 日本葡萄酒株式会社所有の山梨県北巨摩郡登美村大字大垈字道尾山の葡萄園百五十町歩を買収して山梨農場とし、葡萄栽培と葡萄酒の醸造開始 当社関係
10月13日 北工場廃止 当社関係
12月28日 鳥井喜蔵取締役退社、斎藤利三郎、佐藤喜吉、小川昌之、取締役に就任、大川信雄監査役に就任 当社関係
- 研究課において、本格的リキュールの研究を行なう 当社関係
- この頃「別れのブルース」「ああそれなのに」流行 一般
昭和12年(1937) - 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 渋沢関係略年譜
3月18日 鳥井社長大阪商工会議所議員に最高点で選ばれる 当社関係
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