京成電鉄(株)『京成電鉄五十五年史』(1967.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和34年(1959) - 【渋沢敬三】日本学術振興会より『明治前日本漁業技術史』刊行。角川書店より『日本魚名の研究』刊行。 渋沢関係略年譜
11月1日 国民年金法施行、 社会のうごき
11月12日 第101期定時株主総会開催(上野本社) 当社のうごき
11月27日 近畿日本鉄道、名古屋線を広軌化 交通界のうごき
11月28日 ◇鹿島参宮鉄道(大正11.9.3発足、現関東鉄道)、当社関係会社となる 当社のうごき
11月30日 改軌工事(10.6~11.30)完了(全線1372mmから1435mmへ)、 当社のうごき
12月1日 乗合自動車上志津線京成千葉・京成志津16.77km運輪開始 当社のうごき
12月3日 タクシー個人営業認可 交通界のうごき
12月10日 乗合自動車名内線市川車庫・名内橋関23.0km運輸開始 当社のうごき
12月21日 第20回は号社債2億円発行 当社のうごき
- この年、自動車の総数は255万台<昭和14年の11倍> 交通界のうごき
- 国民総生産の伸びは前年にくらべて3倍、しかも物価は輸出中心なのであがらず、手持ち外貨はふえ33年度中の国際収支は戦後最高、「なべ底」から「岩戸景気」へ跳躍。好況の波にのった消費革命は生活をますますアメリカナイズさせ、マイ・カーはもはや高嶺の花ではなくなった。テレビ・トランジスターラジオが普及、合成繊維の生産は世界第2位に躍進。 社会のうごき
- 就職率も戦後最高で「もはや戦後ではない」と新時代突入を唱えるものも現われた。 社会のうごき
- 話題をさらったのは皇太子のご結婚とソ連の月ロケットによる月の裏側撮影、そして翌35年へ向かって子供までが口にしたアンポハンタイの波。 社会のうごき
- 黒いジェット機事件と内外共に話題は豊富。 社会のうごき
- また黒い花びら(歌)、黒い画集(小説)、黒い稲妻(映画)、黒いジェット機と黒ばやり、こうした暗黒をよそに山ブームもはじまり、谷川岳では墜落死が続き、そして外堀川が埋立てられて数寄屋橋が消え名のみとなった。 社会のうごき
昭和35年(1960) - 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 渋沢関係略年譜
1月10日 乗合自動車大関線国鉄八街・田町車庫間17.25km運輸開始 当社のうごき
1月14日 国鉄EF60形電気機関車完成 交通界のうごき
1月19日 日米安保条約および行政協定はワシントンで調印されたが、批准に際して政府与党は採決を強行したため院外の反対闘争は空前の熾烈さを極め、デモは国会周辺をつつみ、国会は空白状態に陥ちいった。 社会のうごき
1月20日 近鉄特急スピードアップ、2時間27分 交通界のうごき
1月24日 民社党結党、 社会のうごき
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