※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 大正天皇崩御。「昭和」と改元 | 業界・社会 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 瀬戸市寺本町にて、父鈴木新三郎・母綾子の四男として出生 | 伊藤保男・会社 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | ニューヨーク株式大暴落、世界大恐慌 | 業界・社会 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 自動車交通事業法公布(八年一〇月施行) | 業界・社会 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 5・15事件、犬飼首相暗殺される | 業界・社会 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 初の年賀郵便用切手発行 | 業界・社会 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 2・26事件 | 業界・社会 | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 第二次世界大戦勃発 | 業界・社会 | |
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 第一次企業集約合同指令される | 業界・社会 | |
9月 | 日独伊三国同盟成立 | 業界・社会 | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 瀬戸市深川高等小学校卒業 | 伊藤保男・会社 | |
4月 | 名古屋航空機械学校入学 | 伊藤保男・会社 | |
8月 | 陸運統制令発動(戦時輸送体制強化) | 業界・社会 | |
12月 | 太平洋戦争勃発 | 業界・社会 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 逓信省航空機乗員養成所受験するが失格 | 伊藤保男・会社 | |
4月 | 米軍機本土初空襲、東京、名古屋、神戸へ来襲 | 業界・社会 | |
12月 | 第二次戦時強制統合指令発令、県下の事業集約会社二三社になる | 業界・社会 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 名古屋航空機械学校卒業 | 伊藤保男・会社 | |
4月 | 三菱重工業名古屋発動機へ入社(一月末より学徒勤労報国隊員) | 伊藤保男・会社 | |
6月 | 学徒勤労動員始まる | 業界・社会 |