日本郵船(株)『二引の旗のもとに : 日本郵船百年の歩み』(1986.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
9月 三菱汽船会社を郵便汽船三菱会社と改称(以下三菱会社) 前史
10月 三菱会社、PM社の横浜・上海航路買収 前史
11月 三菱会社、三菱商船学校設立 前史
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
2月 英P&O社、香港・上海・横浜航路開始(8月撤退) 業界・一般事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月 西南の役勃発 業界・一般事項
- 西南の役で三菱会社、軍事輸送に従事 前史
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
10月 三菱会社、香港航路開設 前史
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
2月 三菱会社、ウラジオストック航路開設 前史
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
4月 三菱商船学校官立移管、東京商船学校と改称 前史
7月 共同運輸会社設立 前史
10月 日本銀行開業 業界・一般事項
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
1月 共同運輸会社、東京風帆船・越中風帆船・北海道運輸の三社を合併開業 前史
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
5月 大阪商船創業 業界・一般事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
9月 共同運輸会社と郵便汽船三菱会社合併、日本郵船会社を設立、森岡昌純社長に就任(所有船58隻) 当社事項
10月1日 営業開始(二引の社旗制定、船旗に使用) 当社事項
12月 山城丸で最初の官約ハワイ移民輸送 当社事項
12月 内閣制度制定、逓信省新設(管船局管轄) 業界・一般事項
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
1月 日本・ハワイ間に移民渡航条約締結 業界・一般事項
2月 長崎・天津航路開設 当社事項
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
2月 大日本帝国憲法発布 業界・一般事項
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