※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 内地塩不足のため、遠近諸外国塩の輸移入を開始し、その一手販売の特別元売捌人の指定および輸移入塩の保管・回送の下命をうける | 大日本塩業株式会社//塩 | |
12月 | 東京、横浜、半田、門司の各再製塩工場にてフル生産をおこなう | 大日本塩業株式会社//塩 | |
- | この年、気候適順のため、関東州塩の生産高96,000tに | 大日本塩業株式会社//塩 | |
- | 石井 ランシング協定(日米共同宣言) | 大日本塩業株式会社//一般社会事項 | |
- | ロシア2月、10月革命 | 大日本塩業株式会社//一般社会事項 | |
- | 金輸出禁止 | 大日本塩業株式会社//一般社会事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 横浜千若5号、6号、7号、11号、12号、13号倉庫を建設 | 大日本塩業株式会社//施設 | |
5月 | 東京に支店を設置 | 大日本塩業株式会社//総務 | |
8月 | 米騒動起こる(富山県下から関西各地に波及) | 大日本塩業株式会社//一般社会事項 | |
8月 | シベリア出兵 | 大日本塩業株式会社//一般社会事項 | |
9月 | 本年度の輸移入塩中12,000tは粉砕洗滌後納付すべしとの命令をうける | 大日本塩業株式会社//塩 | |
11月 | 狩野蔵次郎 代表取締役に就任 | 大日本塩業株式会社//総務 | |
11月 | 第1次世界大戦休戦条約 | 大日本塩業株式会社//一般社会事項 | |
12月 | 函館、下関に支店を設置 | 大日本塩業株式会社//総務 | |
12月 | 塩専売は収益専売から公益専売に転換(塩の需給と価格の安定および国内塩業の育成を目的として) | 大日本塩業株式会社//業界事項 | |
- | 山口県彦島に粉砕洗滌工場を建設し、原塩に粉砕洗滌をおこない、沿海州の漁業用に使用 | 大日本塩業株式会社//塩 | |
- | 関東州の塩田面積2,600町歩に | 大日本塩業株式会社//塩 | |
- | 専売局が向島工場を新設 | 大日本塩業株式会社//業界事項 | |
- | この年、内地塩は大凶作 | 大日本塩業株式会社//業界事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 専売局向島工場作業開始 | 大日本塩業株式会社//業界事項 |