(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
4月5日 ソ連、日ソ中立条約不延長を通告。 内外事情
4月7日 鈴木貫太郎内閣成立。 内外事情
4月7日 本土防衛のため第1・第2総軍及び航空総軍編成。 内外事情
4月12日 米大統領ルーズベルト歿、後任にトルーマン就任。 内外事情
4月13日 国民義勇隊編成決定。これにともない大政翼賛会・大日本青少年団等解散。 内外事情
4月14日 三崎町倉庫焼失、用紙損害甚大。 岩波書店
4月15日 吉田茂ら憲兵隊に検挙さる。 内外事情
4月23日 紙型・用紙など疎開のため上野図書館地下室を借りることとなる―4月初旬、岩波書店幹部は時局について討議、今後の根本的な対策を協議した。その結論にもとづき、至急全力をあげて資材・紙型等を疎開し、戦災からこれを守った上、再起に備えるという方針を採用、それ以後百方手を尽してこの対策の実行に努めていた。上野図書館の地下室を借りることになったのも、この対策の一部としてであった。ただし実際に資材をここに運びこんだのは5月に入ってからであった。 岩波書店
4月26日 法政大学学生18人岩波書店で勤労奉仕―《寒い国》の刷本を折る。 岩波書店
4月28日 世田谷の労働科学研究所へ海軍衣糧廠のトラックを借りて用紙440連疎開―資材・用紙の疎開先きを物色中、労働科学研究所の建物の使用が許可されることになり、さらに同研究所と協議し、印刷機・製本設備までも併せて同研究所に疎開することとなった。よって田中理想社及び青木製本所(このときより取引開始)と相談、印刷・製本機械を研究所内に据えつけることを決定し、その準備にかかると共に、第一段として用紙の疎開に着手したのである。この計画は困難な事情を冒して遂行され、それぞれ設備を完成するところまで漕ぎつけたが、その時に終戦となり、戦時中は理化学辞典の製本がここで行われたに止まった。但し海軍衣糧廠のトラックを使用する便宜が得られたのは、同辞典が海軍の注文品であったことによる。運搬はこの日を始めとして数回にわたって行われた。 岩波書店
5月7日 ドイツ無条件降伏。 内外事情
5月9日 店員小林勇検挙さる―小林は治安維持法違反の嫌疑で神奈川警察署に留置されたのであるが、すでにこのころには検挙はほとんど法律的根拠なくして行われる状態となっていて、真の理由は、言論統制を強化するため岩波書店に弾圧を加えようという政治的理由にあったと思われる。すでに前年の春、中央公論社並びに改造社に対しては、両誌の発行停止のみならず、いわゆる横浜事件と称するジャーナリストの検挙にからんで、両社そのものの解散が命ぜられていた。その一連の検挙がのびて小林に及んだものであって、取調べにあたった特高係り刑事は、岩波書店をつぶす予定であると放言したという。岩波茂雄の言動や岩波新書の内容を反時局的であるとして、きびしく追究されたが、小林の操守によって、累は岩波茂雄にも岩波書店にも及ばずにすみ、終戦後、8月29日、小林も釈放された。 岩波書店
5月9日 報道宣伝機構を情報局に統一。非常事態に備え官庁で俸給3ヵ月分前払い。 内外事情
5月21日 《日本読書新聞》休刊。 出版界
5月25日 第3回の大規模な東京空襲により、小日向水道町岩波茂雄の住宅はじめ店員25家族罹災、退職希望者が多数出た。 岩波書店
5月25日 B29、東京大空襲、宮城全焼の他、都区内の大半焼失。 内外事情
5月28日 《科学史研究》第9号をもって休刊。(1949.4.5復刊)。 岩波書店
5月 相つぐ空襲により印刷所・製本所の罹災や用紙資材の焼失、輸送の混乱など、諸条件は益々悪化し、書籍の発行点数も激減(日本出版配給統制会社扱書籍点数:5月20日~6月20日、43点、6月21日~7月20日、42点、7月21日~8月20日40点)。 出版界
6月1日 日本出版会、情報局の指示により出版非常措置要綱を発令。従来の実績による用紙割当を停止、約1500点を〈制限重版図書〉と選定、重点発行承認制と用紙の集中的特配を強行。 出版界
6月4日 日本出版会会長挾間茂辞任、石川武美就任。6月10日、事務機構を縮小、企画査定を廃止、機能はほとんど停滞。 出版界
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