(株)江木写真店『江木五十嵐写真店百年の歩み』(1985.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
12月 (株)江木写真店解散 当店事項
- 写真材料商、感材工業の企業整備始まる 業界事項
- 日本写真感光材料統制(株)創立 業界事項
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
6月 合資会社五十嵐写真店設立(旧帝国劇場別館を借りうけ)資本金十九万八千円 当店事項
- 小西六他写真関係三社、軍需会社指定をうける 業界事項
- 三菱製紙(株)、京都写真工業(株)を吸収 業界事項
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
- 進駐軍相手に写真撮影やDPを始め繁盛 当店事項
- 感材・カメラメーカー、進駐軍指令により生産再開 業界事項
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
- 日本光学、カメラ製造に着手 業界事項
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
- 与七、(株)東京会館取締役に就任 当店事項
- 小西六、天然色映画「夢」を制作 業界事項
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
- 日本写真文化協会発足 業界事項
- 富士、天然色フィルム発売 業界事項
- 小西六、コニカI型発売 業界事項
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
- 与七、(株)東京会館監査役に就任 当店事項
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
11月 三信ビルカメラ店開設 当店事項
- 日本写真家協会創立 業界事項
- 富士カラー天然色映画「カルメン故郷に帰る」完成 業界事項
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
- 池袋東横写真室開設 当店事項
- オリエンタル写真工業、内式カラーフィルム完成、発売 業界事項
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