(株)江木写真店『江木五十嵐写真店百年の歩み』(1985.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天保8年(1837) - 仏国人ダゲール、ダゲレオタイプの銀板写真術発明 業界事項
天保12年(1841) - [原本 天保12年(1842)とあり]薩摩藩士・上野俊之丞、オランダ船からダゲレオタイプを購入 業界事項
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
5月 江木保男生まれる(わが国写真撮影術の先覚者) 当店事項
11月17日 江木松四郎生まれる 当店事項
- 島津斉彬、養女篤姫の将軍家定輿入れに際し銀板撮影 業界事項
文久2年(1862) - 成田常吉(写真師)越前武生に生まれる 当店事項
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
- 江木保男、米国よりソーラーカメラ、写真引伸器械を輸入し、写真業を始める(江木写真店のスタート) 当店事項
- 「写真雑誌」(深沢要橘編集)中島待孔がカーボン印画法を研究 業界事項
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
- 江木松四郎、サンフランシスコで写真術を研究、帰国後、江木保男、神田淡路町に江木写真店開設(22年12月新装) 当店事項
- 吉田勝之助、国産初の乾板製造販売 業界事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
9月 五十嵐与七生まれる 当店事項
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
- [原本 明治24年(1889)とあり]江木写真店新橋支店開設 当店事項
- [原本 明治22年(1887)とあり]日本写真会創立、会長榎本武揚 業界事項
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
- 日清戦争写真帳作成、李鴻章に贈呈 当店事項
- 「写真月報」小西本店から創刊 業界事項
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
- 第四回内国博(於京都)に小松宮の写真を出品 当店事項
- 鹿島清兵衛と戸田氏共が日本幻灯会創設 業界事項
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
- 江木保男死去(四十三歳) 当店事項
- 浅沼商会、国産初の「日之出乾板」製造発売 業界事項
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
1月 英国製の最新式人像鏡玉輸入 当店事項
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