(株)大広『Daiko』(1994.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
- ☆孫文没 社会・生活・世相
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
2月 柴田俊彦、京華社本店に入社 当社
2月 「広告主名鑑・大正15年版」(新聞之新聞社)による主要得意先の特徴 京華社..医薬・化粧品をはじめ菓子、出版など多業種にまたがる 金水堂..塩野義商店(一手扱い)をはじめ道修町中心 当社
3月15日 京華社常務取締役竹内篤志がヨーロッパ・アメリカの新聞事情を視察(~12月25日) 当社
6月 ●[広告業界]広告浄化の機運高まり、主要紙誌が通信販売、加持祈祷、性病薬などの広告を自粛 広告・メディア業界
8月20日 ○[メディア業界](社)日本放送協会(NHK)設立 広告・メディア業界
12月25日 ○[メディア業界]高柳健次郎、日本初のテレビ実験に成功 広告・メディア業界
- 金水堂、この頃メーンストリートの堺筋に移転 東区平野町2丁目31(現・生駒時計店南隣) 当社
- 川崎梅太郎、朝日舎舎主に就任 当社
- ●[広告業界]ネオンサイン広告登場 広告・メディア業界
- ●[広告業界]各地で博覧会開催相つぐ 広告・メディア業界
- ●[広告業界]大正15年における年間広告費トップは森下博薬房(70万円) 広告・メディア業界
- ○[メディア業界]アサヒカメラ、幼年倶楽部創刊 広告・メディア業界
- ○[メディア業界]健康保険法実施 社会・生活・世相
- ○[メディア業界]全国に青年訓練所開設 社会・生活・世相
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月25日 ○[メディア業界]大正天皇崩御、昭和に改元 社会・生活・世相
1926年 - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- ○[メディア業界]全国家計調査実施 社会・生活・世相
- ○[メディア業界]ダイヤル式の自動電話制実施 社会・生活・世相
- ○[メディア業界]東京・上野駅に入場券自動販売機 社会・生活・世相
- <新製品・新発売>SBカレー粉、雪印バター・チーズ、キンカン 社会・生活・世相
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