※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和32年(1957) | - | 【渋沢敬三】第16回ICC総会に日本代表団団長として出席のため渡欧。外務省顧問に就任、「移動大使」として中南米諸国を歴訪。 | 渋沢関係略年譜 |
1月19日 | 外務省、ソ連への各社特派員につき常駐は五名、短期は無制限の基本方針を発表。 | 新聞放送関係 | |
1月26日 | 重光葵急死 | 内外重要事項 | |
1月29日 | 南極予備観測隊、南極大陸に公式上陸し「昭和基地」と命名。 | 内外重要事項 | |
2月1日 | 共同通信社、朝毎読三社に対して外信供給開始。 | 通信社関係 | |
2月4日 | 時事通信社、東京―大阪間専用電話線(二番線)開通。 | 通信社関係 | |
2月5日 | 衆議院議長および両党国会対策委員長、国会の傍聴を一部制限する申合せを行い、ニュースカメラマンの撮影は原則として開会前後に限定された。 | 新聞放送関係 | |
2月11日 | モスクワ支局の開設は朝日、毎日、読売、産経、共同の五社にきまる。 | 新聞放送関係 | |
2月15日 | 宗谷南極大陸から離岸、帰途につく(28日堅氷に閉され進退不能となりソ連船オビ号に救出され4月24日東京港着)。 | 内外重要事項 | |
2月15日 | △ソ連外相代る(新外相にグロムイコ)。 | 内外重要事項 | |
2月22日 | 石橋病首相「政治的良心に従って」辞意表明、二十三日石橋内閣総辞職。 | 内外重要事項 | |
2月25日 | 岸信介内閣成立。 | 内外重要事項 | |
3月1日 | 共同通信社、ページ式文字電を本格的に実施。 | 通信社関係 | |
3月3日 | 米上院国内治安分科委員会、ソ連タス通信社の米国内における活動停止を要請。 | 新聞放送関係 | |
3月11日 | 静岡日日新聞社解散。 | 新聞放送関係 | |
3月17日 | マグサイサイ比大統領、飛行機事故で死去。 | 内外重要事項 | |
3月19日 | 全国新聞社の広告関係者による「全日本新聞社広告会」創立。 | 新聞放送関係 | |
3月21日 | 自由民主党大会で岸信介を総裁に選出。 | 内外重要事項 | |
3月21日 | △米英両国首脳のバミューダ会談始まる(24日終る)。 | 内外重要事項 | |
4月1日 | 時事通信社、英文による海外同報(無線放送)開始。 | 通信社関係 | |
4月4日 | エジプト駐在カナダ大使ノーマン、カイロの大使館で飛降り自殺す。 | 内外重要事項 |