(株)日本経済新聞社『日本経済新聞九十年史』(1966.12)

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月日 事項 年表種別
昭和12年(1937) 10月7日 円城寺次郎記者を一カ月間華北に特派、その第一信掲載。 社史
昭和15年(1940) 6月3日 円城寺次郎記者欧米視察および海外通信網拡充の使命を帯びて出発。 社史
昭和21年(1946) 3月1日 「日本産業経済」を「日本経済新聞」と改題、号数を中外物価新報創刊にさかのぼって通算し二一、六三〇号とする。円城寺次郎編集局長となる。 社史
昭和22年(1947) 10月31日 第七十三回定時株主総会、取締役二名増員、福田薫、円城寺次郎新任。 社史
昭和29年(1954) 2月27日 第八十二回定時株主総会、続いて取締役会を開き取締役工務局長福田薫、同編集局長円城寺次郎それぞれ常務取締役となって常務四名となり、新たに編集局次長大軒順三、同中山真取締役に就任、喜多一重取締役を辞して監査役となり、勝川喜之助取締役退任、なお取締役会長および専務取締役制を設け得ることとする。 社史
4月10日 円城寺次郎編集局長ウィーンで開催の国際新聞編集者協会第三回総会ならびにストックホルムで開催の国際新聞発行者協会第七回総会に出席のため米国経由出発。 社史
昭和31年(1956) 2月28日 第八十四回定時株主総会および取締役会、全役員任期満了改選の結果、代表取締役社長に万直次、常務取締役に福田薫(業務担当、業務局長)円城寺次郎(主幹、大阪支社担当)中島光矢(総務、経理担当)取締役に大軒順三(業務担当補佐)中山真(大阪支社長兼支社工務局長)安養寺敏郎(労務担当、工務局長)監査役に福島俊雄(前取締役)小木曽初二(同、業務局長)を選任、また前社長小田嶋定吉を顧問、編集局次長佐藤良邦を総務局長に、同荻原伯永を編集局長に、業務局次長兼大阪支社販売部長村合正夫を大阪支社業務局長に、大阪支社編集長酒井剛を大阪支社編集局長とする。 社史
昭和35年(1960) 2月26日 第八十八回定時株主総会、監査役福井幸平退任、新監査役に論説委員会委員長友光正昭を選任、常務取締役・主幹円城寺次郎論説委員会委員長事務取扱となる。 社史
昭和36年(1961) 1月6日 常務取締役・主幹円城寺次郎アジア中近東諸国の経済、文化事情視察のため出発、二月九日帰国。 社史
2月21日 大阪支社を本社に昇格 これに伴い機構職制を改正、常務取締役大軒順三大阪本社代表に就任、取締役・大阪支社長村合正夫大阪本社総務となり、常務取締役・主幹円城寺次郎の大阪支社担当を解く、また取締役中山真の東京本社工務局長を解き、大阪支社編集局長酒井剛が東京本社工務局長に、大阪支社編集局次長小針寛司が大阪本社編集局長に就任。 社史
昭和38年(1963) 3月1日 論説委員会副委員長大和勇三、論説委員会委員長に就任、常務取締役・主幹円城寺次郎の論説委員会委員長事務取扱を解く。 社史
3月4日 常務取締役・主幹円城寺次郎、インド政府とインド古代美術展打ち合わせのためニューデリーへ出発、十三日帰国。 社史
3月26日 常務取締役・主幹円城寺次郎、新聞人として初の三十七年度芸術選奨受賞決定、四月二十三日授賞式。 社史
5月13日 常務取締役・主幹円城寺次郎、ストックホルムの国際新聞編集者協会年次総会出席とインド古代美術展開催準備のため出発、年次総会終了後日本新聞人視察団員としてソ連を訪問、七月十九日帰国。 社史
12月30日 常務取締役・主幹円城寺次郎モスクワへ、三十九年一月十九日帰国。 社史
昭和40年(1965) 10月20日 常務取締役・主幹円城寺次郎専務取締役に就任、常務取締役・営業担当大軒順三の大阪本社代表を解き次の人事異動を実施(カッコ内前職)、大阪本社代表(総務・労務担当)常務取締役佐藤良邦、新聞製作部門・総務・労務・技術・関係事業担当(製作部門・電波・技術担当)常務取締役佃正弘、労務担当補佐・東京本社総務局長(東京本社総務局長)山口林三。 社史
昭和41年(1966) 5月28日 常務取締役・主幹円城寺次郎、パリの「日本浮世絵美術展」の開幕準備のためパリへ出発、モスクワで日ソ美術展交流につきソ連政府と折衝、六月十九日帰国。 社史
9月10日 円城寺次郎専務・主幹、「葛飾北斎展」開会式に出席のためモスクワへ、十八日帰国。 社史
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