(株)日本経済新聞社『日本経済新聞九十年史』(1966.12)

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月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) 12月5日 臨時株主総会、株主の資格を本社役員、従業員、取締役会でこれに準ずるものと認めた者に制限する。取締役会長村上幸平辞任して顧問に、佐藤新衛、唐原与次両取締役辞任して客員となり、藤井監査役も退任、福田薫理事総務局長に、喜多一重監査役となる。 社史
昭和22年(1947) 10月31日 第七十三回定時株主総会、取締役二名増員、福田薫、円城寺次郎新任。 社史
昭和24年(1949) 2月15日 福田薫取締役を辞任し第一新聞社代表取締役となる。 社史
2月18日 右[福田薫取締役を辞任し第一新聞社代表取締役となる。]に伴い人事異動発表、監査役勝川喜之助総務局長に就任。 社史
昭和27年(1952) 2月28日 第八十回定時株主総会、資本金の端数を切り捨て八千万円に減少、取締役を増員し福田薫、勝川喜之助(監査役辞任)、喜多一重、小木曽初二選任。局長級に異動あり、福島俊雄、万直次常務取締役専任となり、業務局長に小木曽初二、工務局長に福田薫就任。 社史
昭和29年(1954) 2月27日 第八十二回定時株主総会、続いて取締役会を開き取締役工務局長福田薫、同編集局長円城寺次郎それぞれ常務取締役となって常務四名となり、新たに編集局次長大軒順三、同中山真取締役に就任、喜多一重取締役を辞して監査役となり、勝川喜之助取締役退任、なお取締役会長および専務取締役制を設け得ることとする。 社史
3月1日 取締役中島光矢総務局長(社長室長兼務)に就任、常務取締役工務局長福田薫大阪支社長に、取締役編集局次長大軒順三工務局長に、同中山真大阪支社次長兼工場長となる。新たに理事、参事制を設ける。 社史
昭和31年(1956) 2月28日 第八十四回定時株主総会および取締役会、全役員任期満了改選の結果、代表取締役社長に万直次、常務取締役に福田薫(業務担当、業務局長)円城寺次郎(主幹、大阪支社担当)中島光矢(総務、経理担当)取締役に大軒順三(業務担当補佐)中山真(大阪支社長兼支社工務局長)安養寺敏郎(労務担当、工務局長)監査役に福島俊雄(前取締役)小木曽初二(同、業務局長)を選任、また前社長小田嶋定吉を顧問、編集局次長佐藤良邦を総務局長に、同荻原伯永を編集局長に、業務局次長兼大阪支社販売部長村合正夫を大阪支社業務局長に、大阪支社編集長酒井剛を大阪支社編集局長とする。 社史
昭和32年(1957) 4月26日 常務取締役福田薫スイスへ出発、欧米を視察し六月十三日帰国。 社史
昭和33年(1958) 11月9日 人事異動(カッコ内前職)、業務担当(業務担当・東京本社業務局長)常務取締役福田薫、東京本社業務局長(業務担当補佐)取締役大軒順三、労務・総務担当(労務担当・東京本社総務局長)取締役中山真、東京本社総務局長(同編集局長)荻原伯永、東京本社編集局長(同編集局次長)佃正弘。 社史
昭和39年(1964) 11月30日 常務取締役福田薫日本教育テレビ副社長を兼任、大阪本社業務局長武藤直嘉日本教育テレビ常務取締役に就任のため退社。 社史
昭和40年(1965) 3月23日 取締役会で取締役佐藤良邦、同佃正弘を常務取締役に選任、常務取締役福田薫の常務を解く。 社史
3月31日 取締役福田薫日本教育テレビ副社長専念のため退任。 社史
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