婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

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月日 事項 年表種別
明治33年(1900) 6月 △下田歌子女史等発起の女子同情会、築地の同気倶祭部にて発会式
7月 △華族女学校教授津田梅子女史退職。学監下田歌子女史と意見の一致せざる為なり
11月 △鳩山春子、浜尾作子、山脇房子、下田歌子、三輪田真佐子各氏発起にて少女衣服改良会を設く服装の改良を少女より実行せしむる目的
12月 △下田歌子女史設立の帝国婦人協会の支部各地に設置せらる
明治36年(1903) 4月 △下田歌子女史設立の帝国婦人協会附属女学校新築資金を集むる為、華族女学校出身の婦人等発卯園遊会を築地水交社に開く上流婦人の活人画大評判、是非の論あり
明治38年(1905) 6月 △下田歌子女史母堂まさ子刀自永眠
明治39年(1906) 4月 △下田歌子氏学習院女学部長に任ぜらる
明治40年(1907) 11月 △下田歌子女史学習院女学部長を辞し後任山口高等商業学校長松本源太郎氏に命ぜらる
明治41年(1908) 1月 △下田歌子女史勲四等に叙せらる
5月 △下田歌子女史常宮殿下御教育の功にて従三位に昇叙せらる
明治44年(1911) 3月 △下田歌子氏の実践女学校高等女学部並に実科開校認可
大正5年(1916) 5月 △下田歌子、津田梅子、佐方鎮子、後閑菊野女史帝国教育会より表彰せらる
大正6年(1917) 5月 △下田歌子女史還暦祝賀会
大正7年(1918) 7月 △細民子女教育を目的として大日本婦人慈善会の設立したる順心女学校開校す校長は下田歌子女史
大正9年(1920) 9月 △久しく行悩みの状態にありし愛国婦人会理事改選行はれ、会長には下田歌子氏当選
大正10年(1921) 4月 △三角校長永眠後の常盤松女学校は同校顧問なりし下田歌子女史の経営に移る
大正12年(1923) 11月 △愛国婦人会役員改選、下田歌子女史会長重任
昭和2年(1927) 4月 △愛国婦人会長下田歌子氏任期満了辞任、子爵母堂本野久子氏後任に当選。副会長は水野錬太郎氏夫人(ます子)
10月 △下田歌子女史勲三等に昇叙
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