婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

"吉岡弥生"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治36年(1903) 4月 △吉岡弥生女史の東京女医学校、牛込河田町に移転
明治45年(1912) 3月 △吉岡弥生女史の私立東京女子医学専門学校開校認可
大正3年(1914) 12月 △嘉悦孝子、吉岡弥生、鳩山春子、天野多喜子氏等主唱となり女学校長外各方面の賛成を得て花の日会を創設し東京駅開通式の当日を以て街路に造花を売る、我国に於ける最初の計画にして結果良好、純益金九千余円あり、青島戦死者遺族に贈る、皇后陛下より内々の思召を以て金若干円同会に御下賜あり、各宮家よりも御買上ありたり
大正6年(1917) 11月 △山脇房子、吉岡弥生、国府種徳、天野藤男、福島四郎氏等全国の処女会を統一する目的にて処女会中央部を設立す発会式は明年四月挙行
大正9年(1920) 6月 △東京女子医専校長吉岡弥生女史多年女子医学教育に尽瘁せる功労にて皇后陛下より金一封御下賜の光栄に浴す
大正11年(1922) 7月5日 △東京女子医専校長吉岡弥生女史の夫君荒太氏永眠(五日)享年五十五
昭和2年(1927) 1月 △東京聯合婦人会委員長に吉岡弥生女史就任
8月 △雑誌「女性」の記事に対して吉岡弥生女史名誉棄損の訴訟を起す
昭和3年(1928) 1月 △東京聯合婦人会役員改選、委員長吉岡弥生、副会長守屋東、会計理事田中芳子、徳永恕子、其他各氏再選
7月 △汎太平洋婦人会議に井上秀子、ガントレツト恒子、吉岡弥生、正田淑子、大江スミ、石川ふさ、木内キヤウ外数氏日本代表として出発
12月 △吉岡弥生氏帰朝
昭和4年(1929) 1月 △東京聯合婦人会役員改選、委員長吉岡弥生、副委員長守屋東、塚本ハマ氏
11月 △宇垣陸相官邸に被服協会の役員吉岡弥生氏外数十名の婦人を招待、戦時に応用すべく一般国民服の改善に付懇談
昭和5年(1930) 1月 △東京聯合婦人会役員改選、委員長吉岡弥生、副委員長守屋東氏留任、塚本氏に代って山田わか氏副委員長に新任
5月 △婦人同志会(穏健派婦選団体)結成 常任幹事吉岡弥生、井上秀子、会計山脇房子氏の顔触
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