婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

"成瀬仁蔵"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治33年(1900) 6月 △成瀬仁蔵氏主唱の女子大学、位置は大阪と内定し居りしを東京に変更、正式に確定
7月 △日本女子大学校創立委員会に於て校長は成瀬仁蔵氏に決定、三井家の寄附に依て東京小石川区高田豊川町に建築を始む
明治43年(1910) 8月 △女子大学校長成瀬仁蔵、男爵渋沢栄一、森村市左衛門氏女子高等教育奨励のため信越地方遊説
大正4年(1915) 11月 △成瀬仁蔵、宮川保全、津田梅子、嘉悦孝子、矢島楫子、佐藤静子の各氏いづれも女子教育の功績により勲六等に叙せられ男子は瑞宝章女子は宝冠章を授けらる
大正8年(1919) 1月30日 △日本女子大学校長成瀬仁蔵氏其の病の癒ゆべからざるを覚悟し、三十日椅子に坐したるまゝ舁かれて講堂に臨み悲壮なる生前告別をなして学校の為に遣言す
昭和4年(1929) 3月 △女子大学創立者成瀬仁蔵氏十年祭
9月 △成瀬仁蔵氏銅像軽井沢に建つ、製作者は素人彫塑家三井高修氏
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