婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

"津田梅子"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治33年(1900) 7月 △華族女学校教授津田梅子女史退職。学監下田歌子女史と意見の一致せざる為なり
9月 △津田梅子女史、女子英学塾を麹町区一番町の仮塾舎にて開始
明治38年(1905) 11月25日 △津田梅子、矢島楫子、本多貞子、パック夫人、マクドナルド夫人等によりて東京基督教女子青年会成立、大隈伯邸にて発会式(廿五日)
明治39年(1906) 5月 △津田梅子女史の為めに米国婦人の寄附したる日本女学生奨学金第四回候補者を募る(星野愛子氏入選)
明治40年(1907) 1月 △津田梅子氏持病喘息の療養かたがた渡米
明治41年(1908) 1月 △女子英学塾長津田梅子女史米国より帰朝
2月 △津田梅子長谷川喜多子両女史帰朝歓迎会を富士見軒に開催
4月24日 △津田梅子女史の厳父仙翁廿四日永眠、七十二歳
明治42年(1909) 3月 △鳩山春子、津田梅子氏等の婦人質問会は婦人茶話会と改称
7月 △津田梅子氏令妹余奈子氏米国の新聞「日米」の社長安孫子久太郎氏と結婚、相携へて渡米
大正元年(1912) 10月 △津田梅子女史の女子英学塾創立十二周年記念会を開く
大正2年(1913) 5月 △津田梅子女史万国基督教同盟大会に出席の為め渡米
11月 △曩に渡米したる津田梅子女史帰朝す
大正4年(1915) 1月 △山脇房子、津田梅子、桜田節弥等の諸氏発起となりて日本婦人白国同情会を創設し寄附を募る
11月 △成瀬仁蔵、宮川保全、津田梅子、嘉悦孝子、矢島楫子、佐藤静子の各氏いづれも女子教育の功績により勲六等に叙せられ男子は瑞宝章女子は宝冠章を授けらる
大正5年(1916) 5月 △下田歌子、津田梅子、佐方鎮子、後閑菊野女史帝国教育会より表彰せらる
10月 △日本最初の女子留学生の一人なる上田てい子刀自の居所判明、津田梅子女史大山瓜生両夫人と共に招待会を開く
大正8年(1919) 2月 △津田梅子女史病気のため女子英学塾長の職を小此木松子女史に譲りて静養
大正10年(1921) 2月 △前年来病気にて静養中の英学塾長津田梅子女史に皇后宮主事三条公輝男御使として皇后陛下の有難き懿旨と共に病気御尋ねの御菓子を賜る
大正14年(1925) 4月 △女子英学塾長代理辻まつ子氏家事の都合にて辞任、津田梅子氏塾長名義の下に星野愛子氏実務に当る事となる
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